おとしごろ

わたしのあたまはとっても単純だから、

それ、をしてると、それ、のあたまになる。

しりとりをしたあとは、会話でもなんでもおしりにつながることばをかんがえちゃうし

神経衰弱をしたあとは、おんなじものを合わせなきゃいけないみたいなきもちになる。

Twitterをはじめてよかったのは、日々、あたまが二行程度におさまることばをさがしはじめたことで

ぽんっとうかんだものを、リズムと形よくととのえる回路ができた。

だからぽんっと浮かんだものを逃さなくなったし、日々、みちばたに落っこちてるものを反射的に拾うようになった。

ただ、そのぶんこわいのは、みちばたでひろったものをすぐに、ほらあ!って披露できちゃうことで

そのちっちゃいものを自分のなかで熟成させたり発酵させたりせずにすんでしまうこと。

そして、そのことに気がつかず、気分はすっきりしてしまうこと。

素材のまんまのほうがよいものと、じっくりじっくり手作りしたほうがよいもの、ちゃんと見極めて収穫していかなければならない。

おいしい料理って、食材にあった調理をしているからおいしい。

いままで以上に、日常の素材とヒソヒソ会議したり、そいつの声を瞬時に聞かねばな。

Twitterは、あたまのなかのひとつの回路として、そろそろ落とし込むころ。