ルールのやくわり

電車の中で、校則の厳しそうな学校の制服を着た女子高生5人をみる。

きっとスカートの長さもきまってて、髪型もきまりがあるんだろうなという雰囲気でみんなおでこを出している。

だけどそのなかでも、横分けにして留めたり、うえにあげたり、ピンの留め方をかえたり、編み込んだり、結んだり

5人とも違った前髪をしていて

なによりたのしそうにはなしているのが、とってもかわいかった。

わたしの中学校も校則がちゃんとしていて、白い靴下じゃないとだめだとか、髪留めのいろは茶か黒だとか、スカートは膝が隠れる丈だとか、買い食い禁止とか、ケータイ禁止とか、細かくいろいろあった。

わたしはそのことになにも疑問をもたず、決まりは守るものだとおもっていたから

やぶりたがる人や、やぶる人、わたしを真面目だというひとのことがよくわからなかった。

なんというか、校則をゲームのルールみたいなものだと思ってたのかもしれなくて

そのルールのなかであそぶのが、たぶんたのしかったんだとおもう。

中学を卒業して高校に入ったら、守ってきたきまりがゼロになってあまりに自由で肩透かしを食らったみたいになったけど

ひとつひとつ自分にまだ染み付いたルールを破っていって、ひろがるものや、かえってつまらなくなるものをみているのもたのしかった。

きまりって、そういうもんなんじゃないかなとおもったりしてる。

意味とかっていらないきまりもあって

不自由のなか、や、不自由のさきにみつける自由が、たのしい。

なにも型をあたえられないのは、自分の分もしることができないし、かえって不自由だなあと大人になって一層おもうなあ。