刻々

きょうは完全なおでかけの日。

みたかった彫刻の展覧会をまわりました。

まったく詳しくないけど最近見始めた彫刻は、

いつもすごくぐっときて、もしかしたら肌に合ってるのかもなあとおもう。

好きな彫刻は触れてみたいと思う。

触れたら、温度があるんじゃないかって、そんなかんじがする。

人をかたどった彫刻は、くちもとにある含みをみるのがすごくどきどきする。

抽象的は彫刻は、だれかのあたまのなかをぽんっととりだしてのぞけた気がしてすごくうれしい。

だれかのなかにあるたいせつなものが形としてうまれて、それに、皮膚で触れることができる可能性がまたうまれることがすごくたいせつで

なんだか泣きそうになったりする。

それからやっぱり、つくらずにいられない、なおかつ、その戦いの相手が自分であるとき

ほんとうにふるえる作品が生まれるなあ、とつくづくおもう。

その純度は自分で見極めることも難しく。一ミリでもずれたらちがってしまうシビアな戦いだけど。

それでも戦い抜けば、きっと。

こういうことを思える瞬間に出会えると、ああ、多分まだだいじょうぶだっておもって

あしたもがんばれる。

ありがとう。ありがとう。

帰り道に食べたスペイン料理が、白目をむきそうなくらいおいしかった。

とくにパエリアは、わたしの好きな食べ物の中に浮上するくらいに。

好きな食べ物、だって、定型文で言っているだけだってこと、あるでしょう。

わかりやすさや示しやすさのためにそれにたよることもあるけど、

ほんとうにかんじたら更新だってする。

変わるものが生まれるのは、変わらないものがあるおかげ。

めぐりゆくなかで、しゃんとたち、しっかりとみつめられますよう。