ことばのとばくち
ナポリタンのうたが、小さな女の子の耳に残ってると知ったとき
ことばは音とリズムの耳心地、あとは鮮度だな!
意味みたいなものは、テレパシーで十分だな!
と、おもった。
耳に残る、ということはまず、ことばが誰かにちゃんとタッチしたことになる。
わたしがうたにこめたこととかは、そこからやっと、はじまるとおもう。
だから、ことばにとってたいせつなのは
「きこえるかどうか」なんだとおもう。
音があればなんでもきこえるなんてことはない。
文字になっていればなんでもみえるなんてこともない。
どんなに意味を込めたって、きこえないものはきこえないし、みえないものはみえない。
大学時代、ともだちと、すごくちいさなことで討論をした。
それはけんかってわけではなかったけれど、とにかくお互いこう!っておもったものをまげなくて言い合いになった。
そういうとき、人は頭をフル回転させてここぞとばかりに意味を込めるけど
互いに掘り進める意味の深さが、はなからちがうところへ向かっているから、どこまで掘っても二人は会えることはなかった。
たぶん、会う気がなかったんだともおもう。
きこえるように、はなしていないんだとおもう。
ほんっとうに意味を伝えたいときに必要なのは、ことばの上の意味じゃない。
ほんっっとうに伝えたいときに必要なのは、たぶんことばじゃない。
たぶん、物理的に触れること、だとおもう。
それでもこんなにことばにこだわるのは、
ことばがだいすきだからで、ことばをあきらめられないからです。
ことばでたわむれられるときは、めいっぱいあそびたい。
ことばにならないおもいを抱いてしまったときも、どうにかしてことばにしてみたい。
それは
ことばがなければ触れられない距離の
もの、こと、時間、ひと、が、あるからなんじゃないかな
と、いま、きづいた。
触れたくても触れられないからこそ、こうしてことばと、ゆくんだな。
ことばは音とリズムの耳心地、あとは鮮度だな!
意味みたいなものは、テレパシーで十分だな!
と、おもった。
耳に残る、ということはまず、ことばが誰かにちゃんとタッチしたことになる。
わたしがうたにこめたこととかは、そこからやっと、はじまるとおもう。
だから、ことばにとってたいせつなのは
「きこえるかどうか」なんだとおもう。
音があればなんでもきこえるなんてことはない。
文字になっていればなんでもみえるなんてこともない。
どんなに意味を込めたって、きこえないものはきこえないし、みえないものはみえない。
大学時代、ともだちと、すごくちいさなことで討論をした。
それはけんかってわけではなかったけれど、とにかくお互いこう!っておもったものをまげなくて言い合いになった。
そういうとき、人は頭をフル回転させてここぞとばかりに意味を込めるけど
互いに掘り進める意味の深さが、はなからちがうところへ向かっているから、どこまで掘っても二人は会えることはなかった。
たぶん、会う気がなかったんだともおもう。
きこえるように、はなしていないんだとおもう。
ほんっとうに意味を伝えたいときに必要なのは、ことばの上の意味じゃない。
ほんっっとうに伝えたいときに必要なのは、たぶんことばじゃない。
たぶん、物理的に触れること、だとおもう。
それでもこんなにことばにこだわるのは、
ことばがだいすきだからで、ことばをあきらめられないからです。
ことばでたわむれられるときは、めいっぱいあそびたい。
ことばにならないおもいを抱いてしまったときも、どうにかしてことばにしてみたい。
それは
ことばがなければ触れられない距離の
もの、こと、時間、ひと、が、あるからなんじゃないかな
と、いま、きづいた。
触れたくても触れられないからこそ、こうしてことばと、ゆくんだな。