まち、がえ

ボガンボスの『夢の中』をおもってます。

いっくら用心したって

いっくら突き詰めたって

いっくら確かめたって

あぶくみたいに弾ける瞬間がある。

消えちゃうなら、前からなかったのと同じだっておもってきたけど

きっとそうではないんだなとおもう。

うそがきらいだし

一時的なものがきらいだし

かんちがいがきらいだし

はやりがきらいだし

幻想がきらいだし

興奮がきらいだし

盲目的なことがきらいです。

だけどそれだけ用心したって、ほころびはでてきて

ああそれが自然なことなんだなって思いました。

そうやってできてるんだなって、あたりまえだけど。

もったいないけど。

なんどたしかめてもわすれちゃうけど。

原将明先生が言ってたけど、「生きてくって変わってくってことなのかな」って。

変わってくって、何かに適合しなくなることって、どこかに適合しにゆくことなのかもな、とか、おもったり。

時の流れとは別に、自分の流れや、人の流れや、自然の流れがある。

それは全部別々で、だけど重なっていて。

すれちがったりぶつかったり、ともに流れたりしながら、ゆくしかないのだな。

ごめんなさいとありがとうを繰り返しながら、

人の流れをとめないためにも、
自分の流れはせめて、自分で守れるように。