媒と場合

本日はWOWOWぷらすと

テーマは『映画と舞台の怪しい関係』でした。

落語家の立川吉笑さん、
女優の早織さん、
映画評論家の松崎健夫さん、
役者で脚本家のわたし

多様な表現者、
そして評論家というのも見ることの表現者な気がしていて

そんな4人が考える映画と舞台の怪しい関係は、語りつくせない二時間になりました。

わたしは普段から、役者でいる上では映画と演劇はあまり変わらないものと思っています。

それは、そこに生きる、ということをする仕事であるという意味で、なのですが

そこに生きる、ということをより厳密に、受け手に感じてもらうためにすることは
もちろん演劇と映画では変わってくるとは思っています。

これは脚本を書く上ではもっとそうで、
映像を作るのか空間を作るのかではまったくちがう文字の並べ方をしなければならないのだなあとこの頃感じていました。

今日お話ししたことはすべて、あくまでもわたしが感じていることで

人それぞれ違ったことを感じて作っているし、
その作品のテイストのようなものや、中心に立つ人の目指すものによってそれぞれで
一口に何であると結論の出ることではないのですが

だからこそ、わたしが感じていることをお話ししたり、聞いたりできてたのしい回でした。

わたしの小さな結論としては

映画は画面が最終的な媒体で
舞台は肉体が最終的な媒体である

というところに、ひとまずは落ち着けてみます。

いや、もしかするとお客さんの目が最終的な媒体なのかなあ。

なによりみてくださるひとに、よりよく伝わってほしいのは同じで

そのために、いろんな媒体で、方法で、考え方で、感じ方で、作っていたいなあと一層感じました。

本日もご視聴、ありがとうございました。

写真は脚本と演出をしている時のわたしです。