そうぞうするもの

どうにも言い得ない心があって

きょうは月一、映画の日で、

ずっと観たい映画があった。

この頃観ようとしていた映画もあったけど

素直な身体が「いんや、こっちだよ」って言った。

だから、ぴょいっと、
『神様メール』を観てきた。

みればすぐに、そんな全てが重なった今、観る映画だったってことがわかった。

心底美しくて、愛らしくて、たまらなくて

起こる全てにキスしたくなるような。

人生賛歌とかそんなもんじゃなくて

全ての人に見て欲しいとかそんなもんじゃなくて

存在しない全てのものにさえも、この美しさを感じてほしいとか

そんなことおもってしまった。

ことばにできないことがやまほどあるとき

映画があってくれてよかった。

どんな誰にもことばでわたせないものが、ぎゅうぎゅうにつまってかたちになる。

そんなふうにして生み出されたものだから、

映画は、ことばにできないこころを、映し出してくれるのかもしれない。

そうして映し、脱したこころで

また誰かに会いに、ことばをわたしに行けたらいい。

そんな風に思った。



神様にさえも生み出せない

ことばにできない想いがある。

それをたいせつに、たいせつに、

いだいていていいよって、

いだいていれば、ことばにしなくたって存在するよって

抱きしめたい、よる。