循環の純度

7月がやってきました。

7月ってひびき、さわやかで、すきです。

このごろ日常がたのしいのは

未来のことがたのしみになったからだわ、ってことに気づいた。

いちいち
いまいま
こまかに、よい。

くらし、をたのしむことを、たよりにあるいてたころもあって

くらし、がたのしい、いまとは、ちがうふしぎ。

朝劇『朝が起きたら』で書いた
「明日のこともわからないのに、10年後のことなんてわかるわけないじゃないですか」ってセリフは

どちらかというと、くらしをたのしむことをたよりにしている、ことば。



去年、関森絵美ちゃんの企画ライブに出た時にもらった白紙の絵本みたいな形のノート。

「好きなこと書いてね」って末尾に書いてあった。

あの時から、こころに好きなこと描けるようになった気がしてた。

それでいま、やっとそこに、好きな未来を書いてみた。

この間また贈り物で素敵なノートをいただいたので

こちらには、叶えた今を書いてみた。

ふたつのノートを書いてみたら、
きちんと互いがめぐるようなかんじがした。

たしかなことなんてわからない。

でも、いつか間違いになったって

いま、こころで感じることは確かだよなって。

いまが育って、いつかが育つ

それでいまがたしかになって、いつかがたしかになる

そんなことをおもえるいまがまた、たのしくなる。

いまといつかが循環できることが
たいせつなんだなあ。