夢の理


毎日小さなことで傷つけたり傷ついたり傷つけたり、する。

そんなことで何かを生み出すのがいやんなったりする。

「普通」に流れる日々が、わずらわしくて、いやんなったりする。

そんなふうに、日常に胃もたれするみたいなときはたまにあって

そういう状態で、ハッピーじゃない映画を観ると、胸焼けしたりする。

塚本晋也監督の映画を、制作年順に、立て続けに観てた。

『鉄男』

『東京フィスト』

悪夢みたいだった。

その色も、心拍数も、湿度も、
現実ではないって気がするのに、既視感があって

悪夢みたいだった。

『六月の蛇』

愛は追求するほどかなしかった。
本当、は、求めるほどかなしかった。

でも美しかった。

だから余計にかなしかった。

『野火』

悪夢みたいな現実だった。

どうしたらいい、って、観ながらずっと唱えてた。

こんな幸せが飽和したみたいな日常にいる自分にも、いずれは死がが訪れることを認めざるをえなくなってきて

映画の中とは違う次元で、どうしたらいい、って、すごく自分勝手に唱えてた。

そんなこと考えてたら、
生きてる時間のほうが夢みたいなんだな、って、なんとなく思いついた。

死ぬことだけは決まってるのに、
何にも決まってない、明日もわからないような時間を生きてるほうが
よっぽども夢みたいなんだなって思った。



夢みたいだけど、ひとまず弾けずここにある今がつづくかぎり

自分なら何を生み出すんだろう。

生きるとか死ぬとか

欲に正直になるとか

そういう極限に向き合ったとき

自分なら何を守るんだろう。

人が人でなくなる瞬間を目にして

人が人でいられる今

物理的でなく

心理的に、無意識に

人をおかしてしまう日常の胃もたれを、また思った。


今夜は9時からWOWOWぷらすと
『塚本晋也を語る。』

おたのしみに!