鼓動の孤独

さぐりあうのと
たしかめあうのは
似てるようでまったくちがうことなのだなあ
ということに気づく。

どうか、このことばがやさしくきこえてほしい、ように。

どんな状態でもぎりぎりで触れぬようにするのか
どんな状態でもぎりぎりでも触れようと試みるのか。

それでも、てをつなぐために

しんじ、しんじてもらう希望を抱いて

だれかと、いたいなあ、とおもった。

しんじないための攻防が必要なこと

疑いが互いを守ることもあるけれど

分かり合えることを過信してなんかないけど

だからこそ、指先だけでも、どことどこでもいいから

触れ合える場所を探したっていいとおもった。




そんなことかんがえてたら

ハンバートハンバートの『バビロン』をおもいだした。

人が人で生きてる限り、その人のリズムがある。

同じリズムの人なんていないから

同じ瞬間に拍子を打てる、目と目の会う瞬間の尊さをかみしめたらいい。

お互いの波が行き違い、一番遠くなる瞬間は

あなたのリズムを、波の音を、とおくでしっかりきけたらいい。

別の鼓動を聴いて生まれてきて、別の鼓動を打って生きている

だけど、

だれかの鼓動を聴いて生まれてきたことも

今鼓動を打っていることも、

おんなじなんだもんね。