価値のすみか

きょうは、いい日だ。

ちょっとまえに、ふっときめた

「お財布を買う日」がおとずれた。

このブランドで買おう!と考えていたのだけど

なんとなく、きのう、

お財布をひたすらみる旅に出た。

そうしたら

あ!いい!とおもうものが

おもしろいことに、どれも
日本の革製品だった。

それできづいたけれど

ブランドでえらぶのでなく

名付けられた価値でえらぶのでもなくても

いい!とおもうことには

なんとなく理由があるのだなあ。

これだ、とおもう、財布に出会えた。



家に着いてからも

インターネットでそのお財布の写真をみて

ほかのものとみくらべても
やっぱりいいなあ、うれしいなあ

とかんじたので

身の回りの人たちにその写真を送りつけまくり

お嫁に迎えるひとを紹介するかのように、
自慢をして(迷惑)

ついに、むかえにいってきた。



ああ、うつくしい、わたしのお嫁さん。

その身はお化粧箱につつまれて

たいせつにわたしのもとへやってきた。

正直にいうと、予算はちょっとはみだしたけれど

えらびゆくうちにどこからか

いまのわたしが高価だとかんじるものを
と、おもうようになった。

何年後かのわたしに、にあう財布。

何年後かのわたしへ
いまのわたしからの、おたより。

なにより、
そんなお財布をおくりだしてくださった店員さんとお店がとても気に入り

こんなふうでありたい
こんなものたちに囲まれて暮らしたい
そしてそれを大切にできる自分になりたい

と、感じ入った。

すこしずつでも

自分のなかの価値が、
すてきになっていくといいな。

きょうはそんな、はじまりの日。