よわのやわ

先日、恩師の彫刻展をみにいった。

美術には知識もないわたしだけれど

彫刻だけはこうして機会があってみにいくことがある。

彫刻をみにいくのは、なんだかすきで

きっとそれは、手触りや厚み、ぬくみのあるのが心地いいからなんだとおもう。

先生のつくる作品はいつも

血潮を感じる。

木肌の中に感じる血潮は、先生のほおに浮き出るそれに似ていて

そこがたまらなく、いいとおもう。

高校時代、脚本や仕事に頭を抱えながら学校に通っていた時

先生がすっと横に立って、
がんばらないこともたいせつだとおしえてくれたことを

作品を見るたびおもいだす。

からだのなかが、きれいな血液が
めぐるようであれと

先生のみつけだすかたちをみるたび、おもう。

そこには、数々の若い作家の方々の作品もあって

いつもその多様さに感銘を受けるのだけれど

今回は、なんだかものすごく

裸体の像に魅力を感じた。

とくには、その腹部のかたちに、惹かれるものを感じた。

たわみ、ゆるみ、

そこにある、

よわさや、ゆるしのようなものが

どうにもうつくしいとおもった。

そのことを先生に伝えると

「だから動物は、ゆるしたひとに腹を見せるのだね」

とこたえてくれた。

そうだよなあ、と、おもった。

やわらかいぶぶんのうつくしさ。

それはどうにも仕方なく、普遍的に存在するみたいで

なにもやわなものをみせてくれ

なんていわないけれど

やわなところをおみせしましょう

なんていわないけれど

その事実は承知しておこう、とおもった。