このたび、株式会社ギフトに所属いたしました。

『下北LOVER』千秋楽!
@下北沢CONA
8月31日(木) 9:00
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『いつものいつか』(脚本)
@下北沢CAFE VIZZ
8月20日,27日(日)9:00
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◉芝居とトークの60分
『関口と◯◯の女』
第一夜『雨の女』
作・演出 ジェントル
出演 関口アナム、福永マリカ
9月14日(木)SARAVAH東京

◉ミュージックビデオ

KANA-BOON『バトンロード』
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シンクロリウム『ロングスリーパー』
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◉映画
『漫画誕生』
2018年夏公開予定

◆エンターテインメント深堀トークバラエティー


2017年8月16日

もしゃもしゃ







すきな挿絵をむさぼるように模写していた。

模写の元:『ヨーコさんの“言葉”』佐野洋子・文 北村裕花・絵 

わたしのすきな絵というのはどうも

その線が実態の輪郭を描いておらず

うつしたいものの気配とか、まといとか

そういったもののかたちを描いている。

そこに描かれている瞬間の
0コンマ何秒前から、あとまで

含まれたような線を描いている。

むかしから、ひとの顔を描くのは大好きで

だけど、会ってすぐのひとや、会ったことのないひとは

いくらたくさんの詳細な写真を見ても描くことができなかった。

それはきっと表情の蓄積でひとの顔をとらえているからなのだけど

そういう感覚でも、わたしのすきな絵は描けなくて

気配やまとい、瞬間の前後をうつした絵は描けなくて

いったいわたしのすきな彼らはどうやって描いているんだろう

とおもって模写をしてみた。

やってみて、そのようなかたちにはできた。

けれど

模写と、真似て自分のオリジナルの絵を描くことを
交互に繰り返してみると

まったく反映していないというか
その線が描ける原理が頭でも感覚的にもわかっていないから

やっぱり全然、描きたい絵は描けなかった。




『奇想の前提』の稽古中、
自転車にはじめて乗れたときの感覚をふとおもいだした。

自転車って頭で考えたらどうして乗れるのかまったくわからない。

あんなに細いタイヤでまっすぐ立ってすすめるなんて。

だけどからだがその一筋のラインを見つけた瞬間に
なんなく乗れるようになる。

芝居をしてても、頭でいくら考えてもできないことが
ここだ、というラインを見つけた瞬間

ものすごくスムースに、
イメージが体を通って外に出て行く感覚があって

ああ、どんなものにもこの感覚は通じるかもしれないということを考えていた。




今朝、偶然に見つけた14歳の音楽家・大山琉杏さんの歌が凄まじくて

それはそれはすばらしくて

久々に人の歌を聴いて泣いた。

その歌は、もう歌っているのではなくて
歌に歌わされているようで

彼女の意思や思考をはるか超えてはたらく
「歌に歌わされている」という力をすごく感じた。

彼女が9歳位のときの動画を見てみると
9歳とは思えない、これまたすごい歌唱力なのだけど

14歳の彼女にあるこの「歌に歌わされている」という印象はまだなくて
むしろ9歳のときの方がずっと「歌っている」という印象を受けた。

これはすごく不思議で、
「歌に歌わされている」彼女の方がずっと自由で豊かで

なによりとても自然に見えた。

彼女が歌を歌っている状態が、とても必然的に見えた。

とてもスムースに
歌とその他のものを媒介しているような
こんなに豊かなのに、彼女はからっぽの筒のように見えた。

とても不思議なことだなと思った。

同時に面白いのは、こんなにも天才とかんじられるひとにも
きちんと「歌っている」時間があったということで
その時間を猛スピードで経て今に至っているということも
すごく興味深いと思った。

きちんと鍛錬でたどりつける場所なのだと思った。

歌とその他を媒介する筒のように。
絵とその他を媒介する筒のように。
文字とその他を媒介する筒のように。

歌に歌わされ
絵に描かされ
文字に書かされて…いる人の
姿が、作品が、見たいのだと思った。

それはとても不思議だけれど
なにより自然で必然的で、うつくしい姿だと思った。



このところ感じていたことにひとまずの結論が見えた。

家であれやこれやしながら思考を進める時間は
思えば2年ぶりくらいかもしれなくて久々の感覚。

ちょっとそういうターンのような気がするので
もうちょっとやってみる。

それはそうと、またさっきパンを焼いてしまった

しおちぎりパン。おいしすぎておどろく。


2017年8月14日

くろわっさんらいず

よなよなクロワッサンをつくりました。

なにかをつくりたくてたまらなくて

そういうとき、手の込んだ料理に
いちにちをついやしたいとおもうことがあって

そんなきぶんだったので、

クロワッサンをつくりました。

レシピをさがすと相当むずかしそうで

なんども失敗してやっとのことでできたというひとが目立って

つくるまえからあきらめモード。

たべられるものなどつくれないだろうと

それはもう、ねんどあそびでもするようなきもちで
とりかかりました。

よるの11じからはじめ

きじをねかしたりおこしたりをくりかえし

わたしはもちろん眠らずによるをすごし

あさの4じに仕上げのオーブン。



お?もしや、できるのでは?
ひょっとしてまさかこれは
クロワッサンでは…?



…で、できた

うそ、やだ、できた…

こ。これはクロワッサンだ…

じぶんでつくりはじめたくせして

ねんどあそびのつもりしかなかったので

ほんとうにおいしいクロワッサンができあがって
おどろくしかないわたし。

じぶんいがいのなにか偉大なもののちからをかんじる。
(そうだよ、先人がつくってくれたレシピのちからだよ)

ねかせたりおこしたりするひまな時間に
ラタトゥイユをしこんだわたし



いいしごとした。

あんた、いいしごとしたよ。

あさひがのぼり

クロワッサンは焼きたて

ラタトゥイユはとろとろ

おはようといわんばかりに
みんながよきころあいでそろいました。




ああ、なんというながめ。

うつくしや。

つくるって、課程も、完成したときの眺望もたまらない。

ちなみに父はきょう新生姜を漬けていたらしい。

子供の頃もやたらと工作していた父の姿をふと思い出し

つくりたい衝動は父譲りなのだと気付いたのでした。

せい

ひとのせいはなんにもうまれないから

ひとのせいはなんにもはじまらないから

つまらないからさみしいから

とてもとてもさみしいから

せいをよせるなら

まんべんなく

かわしてかわして、まぜてまぜて

いいもわるいもわけあいたい。

ひとりはさみしい。

ひとのせいは、ひとり。

じぶんのせいも、ひとり。

ひとりはなんにもうまれない。

ひとりはなんにもはじまらない。

ひとりはさみしいから

わけあいっこしたい。

よなよなぱんをつくります。

ひとりはさみしいから

わけあいっこします。

2017年8月13日

デイリー出入り

やっとほんとうに、かえってきたかんじ。

千秋楽から2週間。

おもったより時間がかかってしまった。

なさけねえ。

たくさんの無駄な時間をすごしたし

たくさんの時間の贅沢をした。

思考回路やからだのリズムみたいなものを変化させるのには

それなりの時間がいるようです。

とかいって、しゃらくさいですね。

でもなんか、この、

行き来する感覚と、誰でもない、誰にもなれない時間みたいなのは嫌いじゃなくて

不便なのだけど悪くはなくて

そういう時間があるから、確認できることもあるから

わたしには必要なような気がする。

なんというのか、ほら、外の国に行って空気のかおりが違うことや

そこから帰ってきてわかる、日本のかおりや

そういう感じに似ています。わかるかな。

息をするパン

温泉がきもちよくなってしまった。

サウナがきもちよくなってしまった。

必要なものが必要なだけ入ってきたときの
からだってのは正直で

温泉がきもちよくなってしまった。

むかしは何分も浸かっていられなかったのに

サウナなんて入れた試しがないのに

いくらでも過ごしていられるようになってしまった。

きょうも銭湯がここちよかった。

湯上りのいつもよりつめたい風が
どうにもたまらなかった。

からだに必要なものはすこしづつ知らぬ間に変わっていて

からだがいいね!というものもすこしづつ知らぬ間に変わっている。

おなじ時間軸でも別の土地に行けば
からだが求めるものは変わる。

タイに行ったとき、信じられないほどたくさんのフルーツジュースを飲んだことを思い出す。

頭で決めたことをつらぬいていては
その変化についていけなくなってしまう。

自転し、公転する。

重なり合うものはいつもかわりつづける。



やることをやって

あしたはパンを作りたい。

そんなの気分がやってこないかぎりやらないんだから

あしたはパンを作りたい。、

2017年8月12日

すべてひかり

うれしいことやたのしいこと

いいなあとおもうひと

それにふれた
その瞬間に

あきらかにわいてくるものがある。

あきらかに、ちがう

あきらかに、いい。

こんなにわかりやすくひかってる。

こんなにわかりやすくおしえてる。

こんなにふつうに、わかってる。

2017年8月7日

むだい

いちいちしみいる。

いちいちしみいるのである。

漬物がうまい。

おひたしがうまい。

めかぶがうまい。

自然物のミネラルが、いちいち、しみいる。

ひとがやさしい。

空気がおいしい。

つきがうつくしい。

自然物のミネラルが、いちいち、しみいる。

枯渇の先のよろこびというものなのかしら。

こういうのを知っているから

どうにも飽和することからのがれてしまうし

満たされることを拒否してしまうところがある。

食事に行った店の店主が、わたしを連れて行ってくれた常連である彼女に
「はじめてですか?」と聞き

彼女が「よくきてますよ」と返したのを見てとっさに

「いつも記憶が新しく更新されてよいですね」と返したのだけど、
いまおもえば皮肉でしかなかった。申し訳ない。

とにかくおいしかった。
おいしかったので皮肉をこめる所以はなかった。ご理解いただきたい。

部屋の掃除をする気持ちが湧いてきたし

布団を洗って干して、いただいたアロマスプレーを枕にかけて眠るのもたのしみ。

散歩に出かけておいしいコーヒーをのみたいし

そのあいまで事務作業をすませるのもたのしみになった。

確証はないけど大丈夫なあしたをきっとみつめて
きょうそばにいてくれるひとの表情の一つ一つを手に取りたい。

必要なことは必要なぶんだけ、必要なときにやってくるし

気を急いだりしなくても
湧き水のように何かが溢るる瞬間はきっとやってくる。

それだけで、大丈夫なのだとおもう。

2017年8月4日

うまくなびけない風鈴

さいきんなるほどなあとおもったのは

『過保護のカホコ』と言うドラマのワンシーンをみていて

過保護に育てられた主人公が好きになった男性に
「またあした」と言われた瞬間震えだし

「わたしも生きてていいんだっておもえた」と言っているのを見たときに

愛情をふんだんに受けてきたからと言って
自分が生きていていいと認められる自分になれるわけではないのだ

と、確認したことだった。

無条件に愛情を受けてしまったからこそ
自分が自分の力で何かを会得できている感覚が得られず

自分で自分を否定するしかバランスを保てる術がないということ。

自分の力で何かを得たり
自分の好きになった人に許されたり

そういうことでやっと、自分が生きていることを許せるのかもしれない。

だけれど

自分の力で何かを得たり
自分の好きになった人に許されたりして得た

生きてていいよ、は

そうでなくてはならない自分をまた生み出したり
その人に認めもらわないとならない自分が生まれたりすることもあって

なかなか一筋縄ではいかなさそうですね。

それは誰かにとっては高尚な悩みにきこえても
ほんにんにとっては切実なことであって

ひとりひとり得てゆくしかないことなのだな。

そもそも、許す、許される、って感覚が
まちがっているのかもね。

2017年8月3日

ささら

冴えない天気が続くらしく、すこしありがたい。

まってまって、まだそこにいない
とせかされずにすみそう。

おもったよりもささやかなことのためにいきてるってこと

あるとおもうのでわたしは

あなたがそうであることをのぞかせた瞬間を

そっとみまもろうとおもいますよ。

ささやかにみつめようとおもいますよ。

2017年8月2日

えもしれぬ

ひたすら似顔絵を描いて過ごしていた。

「奇想の前提」のひとたちの。

舞台の公演がおわったあとは、
こうして似顔絵を描くのがなんとなく習慣になってきていることに気づく。 

きっと、その作品の中にいた自分と、外に出た自分を媒介するのに
ちょうどいい作業なんだとおもった。

無心でひとりひとりをかいて
少し癒えた何かがあった。

やっぱりそれなりに、ちがうところにいっていたのだなということを
このところかんじるようになった。

びっくりびっくり。

そういうわけで心身ともに元に戻るには少し時間を要しそうで

ありがたいことに時間も余裕もあるから

すきなだけねころがったり、おちゃをしたり
すきにしようとおもう。

けっこう、うたもうたいたくて
此の期に及んでまだ何かを発したいのだなあとおもっている。

あたらしくすきな音楽家に出会ったので
そのひとのうたをうたってみたいのだ。

今はお香を焚いて、びーるをのんでいる。

ねむれなかったり、ねむすぎたり

とてもうれしかったり、かなしかったりするのが

すーと一筋の線に引いて行くのを

もうすこしまってみようとおもっている。