うまくなびけない風鈴

さいきんなるほどなあとおもったのは

『過保護のカホコ』と言うドラマのワンシーンをみていて

過保護に育てられた主人公が好きになった男性に
「またあした」と言われた瞬間震えだし

「わたしも生きてていいんだっておもえた」と言っているのを見たときに

愛情をふんだんに受けてきたからと言って
自分が生きていていいと認められる自分になれるわけではないのだ

と、確認したことだった。

無条件に愛情を受けてしまったからこそ
自分が自分の力で何かを会得できている感覚が得られず

自分で自分を否定するしかバランスを保てる術がないということ。

自分の力で何かを得たり
自分の好きになった人に許されたり

そういうことでやっと、自分が生きていることを許せるのかもしれない。

だけれど

自分の力で何かを得たり
自分の好きになった人に許されたりして得た

生きてていいよ、は

そうでなくてはならない自分をまた生み出したり
その人に認めもらわないとならない自分が生まれたりすることもあって

なかなか一筋縄ではいかなさそうですね。

それは誰かにとっては高尚な悩みにきこえても
ほんにんにとっては切実なことであって

ひとりひとり得てゆくしかないことなのだな。

そもそも、許す、許される、って感覚が
まちがっているのかもね。