ことさらのは

書くことが必要な気がして

なんとなく書くことをする日々だった。夏。

なにがということはなく、なにかが息苦しく

きゅうきゅうでいた。

はしりすぎたかなとか
すこしたちどまったほうがいいかなとか

じぶんをいたわるようなすべをさがそうとしていた。

5年前のじぶんをみてわかった。

つかれたんじゃない、つきたのだ。

いま、ちくせきがつきたようなここちなのだ。

枯渇と飽和が同時にやってきたような

たとえば砂時計の上が空っぽに
下が満タンになったような

そんなここちなのだ。

これまで描いていたせかいのはしっこまできてしまって
だからくるしかったのだ。

酸欠だったのだ。

いちばんわかりやすいのは

ことばが酸化し尽くしたのだ。

と、説明するこのことばすらも。

ずいぶん昔のお古を借りて時代からずれているし

概念だけ、ことばの形だけがのこって

なかみなんてすっからかんだから

なんにもないようなものをならべたてるすべしか
もたなくなってきていたのかもしれない。

あたらしくことばをもらいに、さがしにいかなくちゃいけない時間なのかもしれない。

砂時計をもう一度ひっくりかえすでもなく

あたらしい砂を集めに行く時間なのかもしれない。

ことばがほしい。

もっともっとことばがほしい。

あのひとと、このひととかわせる
ことばがほしい。

高尚なのなんていいから
だれかにとくべつな
そこ、ここに、とくべつな
ことばだけがほしい。

ことばがほしい。