このたび、株式会社ギフトに所属いたしました。

平日チーム
『リブ・リブ・リブ』限定シャッフルキャスト公演
@下北沢CONA
9月27日(水) 9:00
ご予約はこちら

『いつものいつか』(脚本)
@下北沢CAFE VIZZ
9月10日、17日、24日(日)9:00
ご予約はこちら

◉ミュージックビデオ

KANA-BOON『バトンロード』
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シンクロリウム『ロングスリーパー』
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◉映画
『漫画誕生』
2018年夏公開予定

◆エンターテインメント深堀トークバラエティー


2017年9月20日

一声

仲代達矢さん×春日太一さんのトークイベントに行ってきました。

満員満員で、後ろの方の席に座ってしまった私は

おふたりのお顔を見ることはできなかったのですが

これはチャンスと、うつむいてお二人の声だけに集中してお話を聞くと

とても、とても、よかった。

今回は「仲代達矢が語る日本映画黄金時代」の発売イベントだったのですが

その中にも仲代さんが、声を大切にしていらっしゃることが書かれていて

意識の澄み通ったその声、振動から伝わるもの

またその声で語る、役を通さぬ仲代さんご自身のことばは

きっとこの機会にしか耳に届かないもので、本当にかけがえのない経験でした。

仲代さんのユーモアでつくる風通しに色気を感じ

また、仲代さんの文脈に、お餅つきの手水のように心地よく入る春日さんのことばに

お二人の素敵な関係を感じました。

仲代さんが春日さんを大切に思われていることを感じ、とてもうっとりとしました。

短く貴重な時間の最後、

そこに足を運んだひとりからの
「迷うことばかりで人生が苦しい」といった内容の質問に対して答えていらした

仲代さんのおことばと、その響きが
生きて生きても、今ここに新たに生きて震える音で

今ここで生まれたばかりのことばと、声と、響きと、振動で

わたしはからだじゅう震えるおもいでした。

新しく生き、新しく生き、
ただそうしていこうとおもいました。

2017年9月19日

ほうこう

ずっと気になっていたことは
ほんの5分で済んだ。

だいたいそういうものなのだと、片付いた瞬間思い出すのに
どうしていつも忘れて不安の中でごろごろしてしまうのやら。

それでも今日は、その安心がうれしくて
なによりそれまでのきょうがうれしくて

景色をゆっくり眺めながら
壮大だなあとつぶやいて帰った。

おいしいごはんと、あんしんするえがお
人の話に涙が出たり
よかったねと心で抱きしめたり
あしたのことをそうぞうしたり

そういう時間に恵まれて
わたしは豊かな今を思った。

知らない街の路地裏の珈琲屋に立つあの女性は
その風景の中で主役だったこと

広島で出会った語り部のおじいさんは
その風景の中で主役だったこと

あの日の美味しいお酒と肴を出してくれた店主は
その風景の中で主役だったこと

今日わたしをあんしんさせてくれたひとたちは
その風景の中で主役だったこと

わたしの中でいきいきと浮き立った
彼、彼女たちのその輪郭は

とても揺るぎなくわたしに焼き付いて

豊かに生きる姿がどれほどになににもかえがたいかを
てにとれるまでおぼえさせてくれる。

豊かに生きるその人たちの
光の層や、日々の層、たくさんの人との時間の層
出会ってきた思いの層、これから待つ彩の層

あらゆるものが彼、彼女らを包み
柔らかく鮮明にまとって

どうにもその景色に
美しく浮き立つ。

2017年9月18日

アンネの日

じぶんでもびっくりしたのだけれど
わたしは自分が女であるということを自覚していなかったのかもしれない。

自覚していなかったというか
認めていなかったというか
許していなかったのかもしれない。

昨夜、風琴工房「アンネの日」を観て
嵐の前の静けさに包まれた夜の中を歩きながら
そんなことに気がついた。

チャーミングに美しく生きる女性たちを見て
彼女たちを大好きになって

心の底から寄り添うように
また、寄り添ってもらうように過ごした2時間の中で

わたしのなかで無意識に否定していた
「わたしは女である」という認識が
溶けて、解き放たれたのだと思う。

この物語の中には、
「女として生まれたばかり」の女性が出てくる。

彼女は、心は生まれたときから女性だったけれど
やっと肉体的に、そして社会的に、女性になりはじめた。

そんな彼女に登場人物たちが照らされるのと同じように

わたしも、「わたしは女である」ということが
照らされ、浮かし出された。

わたしはずっと、
「女である前に人間である」と思ってきた。

その二つで分けられるほどシンプルじゃないと思ってきたし
そんなにさみしいことはないと思っていた。

少し寒いことを言えば、魂に性別はないと思っていた。

そしてそれは全く確かなことだと今も思っている。

でも、それとは別に
「人間である前に女なのかもしれない」と
昨夜気付いた。

それは生物学的な面で揺るぎないことで
男と女は全く違うものなのだとわかった。

とてもあたりまえなことなのに
やっとわかった。

それがわかったら、なんだか急に
自分が女であることを許せた気がした。

性別など関係ないと思っていた時よりずっと
許せた気がした。

許せていないなんて思ってもみなかったけど
そうだったのだと思った。

自分にかわいそうなことをしてきたかもしれない。

そして、舞台の上に立つ女性たちのように
チャーミングで美しい、色とりどりの
わたしのまわりの女性たちを
もっともっとたいせつにしようとおもった。

女性にしか守れない女性という側面がきっとあって
言葉ではわからないけれど
感覚や身体が知っている「女であること」を
きっと守りあってゆこうと思った。

舞台の上に生きる女性たちが美しくて
わたしは女性を好きになれた。

この根本的な発見は
わたしにとってわりとおおきなことかもしれなくて
生きることに光が差した感じがする。

ふたまたの道の一つをみとめられたから
自分の歩いてきた、そして歩いて行く道を受け入れられたから
ずっと歩いていたのにできなかったことができたから
もう逃げたりごまかしたりしないで凛と歩ける。

とっても足取りが軽くなった気がする。

2017年9月17日

電車の中で息子のすべすべの肌をなぜる母の手とその表情

台風である。

9月の台風はよく覚えているものが多い。

大人になってからは、すぐそばにコーヒーとお酒があった。

そういう気がする。



固定概念というのはあやうい。


「へえ」と言える距離感

自分以外は他人で

そのかけがえないだれかの一部や、全部を
「へえ」と言える距離感。



今日はいい天気。

2017年9月16日

かようひ

朝。

ファミリーレストランに、作業をしに出かける。

溜まり場ヘビーユーザーであるはずの高校生の頃は見向きもしなかったファミレスに

この歳になり、ハマる。

ドリンクバーって、すごい。たのしい。

家での作業はなかなか気がすすまない。

パソコンが触りやすい配置に模様替えしたけれど、そういう問題ではない。

ちなみに高校時代は、学校の閉まるギリギリまで教室で勉強をして

のってきた脳みそと心を連れて帰って、続きを家でやったり

やりきって家では休んだりしていた。

すばらしき、高校時代のわたし。

この頃は16歳の自分に見習うことが多く、よく思い返している。

シネマライズに通い詰めていた当時のわたしは、今より映画を観ていたと思う。

ミニシアターの映画を観るのが楽しくて、観にいくたびまた予告編に惹かれて、また観に行って。

試験が終わって徹夜明けでクタクタなのに渋谷へ出て、チケットを買っていた。

「ミスターロンリー」は、あんまりに眠い時に行ったせいで、記憶に濃いい靄がかかってる。

そんなシネマライズも今はないね、なんて言って

10年も経つとすっかり過去の語り口。

思い返してうらやんだり、うしろむきなきもちになったのではなくて

そんなわたしもいたことに、なんだか元気をもらった。

あの時楽しかったこと、夢中だったことを思い出して

そういう自分の姿に触れて、その存在を知って、うれしかった。

映画、たくさん観たいな。また。

ファミレスに通って、映画館にも通う時代は

25歳のわたしだけだからな。

2017年9月15日

関口と雨の女

今朝は、目覚めたら千秋楽翌日のからだで

ああ、1日限りの公演でも、そうなるのだなあとおどろきました。

昨夜は「関口と〇〇の女」
第一夜「雨の女」
ご来場ありがとうございました。

雨の夜に関口アナムさんをたぶらかし、一万円を抜き取る女

このうえなくたのしみました。

作・演出のジェントルさんが
「男が一万円取られるだけの話だからな」と言っておりましたが

ほんとに、それだけで遊び尽くせる
子どもみたいな時間でした。

アナムさんが
「なんかもう、面白いことやろう」と誘ってくださって即答してから

ずっとひたすらにそれがはじまりでゴールでした。

ジェントルさんの柔らかな空気につつまれて、いつも柔軟に稽古をさせてもらえたので

そのままでいられたのだとおもいます。

そしてなにより、アナムさんのたのしくてやさしい人柄。

あんまりみたことのないくらい、たのしくてたのしそうなひとです。

たのしいひとはすばらしい。

みていてたのしくなります。

いっしょにたのしい時間をすごせて、しあわせでした。

「関口と〇〇の女」は土曜日まで続きます。

今夜の矢吹春奈さんは、大胆に潔く色っぽく上品でキュートで一目惚れしました。

最終日の文音さんは、とってもクールで繊細でやさしくて美しかったです。

女からみてもたまらない、いい女と
たのしいアナムさんのいる夜

たくさんのひとにつつまれて、すてきな夜になりますように。



たくさんの贈り物もいただき、ありがとうございました。

両手いっぱいにもってかえり
家ではかこまれ
王女の心地です。

またつぎのたのしみまで
いただいた贅沢を染み込ませておきます。

2017年9月13日

よかかぜ

夜風が気持ちよかったから
外でコーヒー。

道端はいい。

誰もここにいようとせず
どこかへむかっているのが

とてもいい。

ひとのかたちがBGMのようにながれていって、いい。

流行は巡る、というけれど

きっと何かの周期ってやっぱりあって

わたしは四年前くらいのなにかがいま、グルンと帰って来ている感じがしてる。

不思議。

でも、時は進んでいるからもちろん
同じ地点にくるのでなくて

らせんをえがいたさきの、同じ地点にいる。

だから、あのときなかったものがあって
ここにいて

その取り合わせははじめてで
とても、こんとん。

こんとんだから
からだのなかがかき混ぜられていて

これ、という信念みたいなものとか
あんまりなくって

こまる瞬間もあるんだけれど

かたまるのなんてかんたんだから

いまはかき混ぜられておく。

人と夜風がBGMみたいに流れる中で

かき混ぜられておく。



さて、いよいよ明日となりました。

「関口と〇〇の女」!

ライブハウスで、お酒やごはんと
心軽く、みてほしいです。

とびこみも、うれしいです。

おしごとおわりの時間にもきっとよいのではないですか。

さいきん、生死にまつわるような役をやっていましたが

今回はデザートみたいな別腹な役です。

あそびにいらしてください。


芝居とトークの60分
『関口と◯◯の女』
第一夜『雨の女』

作・演出 ジェントル
出演 関口アナム、福永マリカ

9月14日(木)19:00/21:30
at SARAVAH東京
ご予約と詳細
http://l-amusee.com/saravah/schedule/log/20170914.php

2017年9月12日

ライオンの毛並みの夕暮れ

夕暮れが燃えてた。

ぞっとするくらい燃えてた。

みんなカメラをかまえてた。

わたしもカメラをかまえてた。

毎日ここに何かを書くことにして

すると毎日何かを書くために思考するし

些細なことを膨らませて思考する。

だけど、書くほどのことでない
というか書くためのことでしかない

とおもう文章がうかびそうになって
そういうときは文字を消す。

カメラにおさまるための景色はない。

2017年9月11日

まちまち

おもいもよらず
なつかしい街に降り立った。

駅を出て、足を一歩踏み出すことに少し勇気がいるような

記憶を溜め込んだ街なので

電車の中でそうと気づいてからは少し気が重く、やはりその一歩も重かった。

だけど、あんまりに記憶と関係のない目的で訪れて

あんまりに活動しなければならなかったので

記憶なんて遠くへ飛んで

というか、一気に真っ白いペンキで上塗りされたような感じになった。

いらない記憶なんてどんどん塗り替えて仕舞えばいいとおもう。

どうしたってきっと、ふとした時に思い出す。

わざわざ保存しておく必要はないし
自ら思い起こす必要もない。

過去は存在していて、そのことは揺るぎなくて、それだけで十分であるし

今生きて過ごしているだけで、その時を経てしか存在しないわたしだから

十分すぎるとおもう。


---
さてさて
こんばん22時に
朝劇下北沢平日チームの特別公演チケットが発売になります。

先日千秋楽を終えたばかりなのに
すぐに出てきちゃって
ひきぎわがわるくてごめんね!なのですが

朝劇下北沢初のシャッフルキャスト公演に挑戦します。

作品は、朝劇下北沢の一作目
「リブ・リブ・リブ」。

どんな配役になるのか?!

みたことのある人はその代わりっぷりをお楽しみいただき

みたことのない人には
わたしがなかなかやらない役所を楽しんで欲しいなとおもっています。

ちょっととてもたのしみです。

ぜひいらしてくださいね。

朝劇下北沢平日
限定シャッフルキャスト公演
「リブ・リブ・リブ」

作・演出 原将明
出演
図師光博
福永マリカ
山岡竜弘
関森絵美
後藤那奈

9/27(水)9時
at CONA
朝食ドリンク付2500円

2017年9月10日

まと

ひさしぶりに料理の雑誌を手にしたら

トマトだけで薔薇色の世界がひろがっていてとてもたのしくなってしまって

ああ、わたしにとって心踊るのは

秋服やメイクではなく

めくるめくレシピなのだなと再確認。

そうそう、中学生の頃からときめくのは

洋服屋さんよりスーパーだった。

そんな基本的な自分の情報まで忘れてた。

今はトマトを買うのがたのしみな帰り道で

豆と煮込むか、もずくとあえるか、めんつゆで煮浸しか

ふむ、薔薇色である。

食材を手に取ってから調理法をきめるのがよい。

トマトはトマトであってトマトでなくて

そのトマトだけのおいしさが生きてほしい

と、最近考えていたけれど

髪の毛を切ってもらう時、ついついおまかせしてしまうのも

ひょっとするとそういう理由かもなとおもった。

そのひとからみた、今のわたしが生きる髪型が知りたいし

わたしからうかんだその人のイメージがみたい。

その時会ったからみえるものがみたいのであって

ゴールの設定はいらない。

レシピを凝視し、鏡を顧みず過ごした美容室

仕上がってやっと鏡を見て

帰り際、「うれしいです」と美容師さんに伝えられて、うれしい。

その美容師さんのみたわたしは

わたしのあたまのなかで
秋服の入ったクローゼットをひらいてくれた。

2017年9月9日

ケイオス

好きな路地を見つけて

そこでの暮らしを想像する。

コーヒーがあって、カレーがあって、
日々のポケットみたいにあんしんの路地。

今ない暮らしを想像する。

とてもいいな、とおもう。

うるわしいとおもう。

とおくへむかうきもちはつづく。

だけどその路地に下北沢の幻影をみて

だから下北沢がすきなのだとあらためてかんじる。

とおくからちかくへ

ちかくからとおくへ

ひともまちもそんなふうに。



ひさびさに全身をうごかした。

全身で受けとめて
そのまちの風のやわらかさやあかるさをみた。

今年はどこまで走るんだろう。

だれと走るんだろう。

どんどんカオティックになってきて

喜怒哀楽もいそがしいけれど
カオティックなまるごとをしんじるからだでありたい。

わたしのからだに必要なものは
日々生きてから決める。

生きながら決める。

喉が渇いたら水を飲むように
生きながら決める。

そのためには
喉が渇いた感覚に嘘をつかないこと。

2017年9月8日

きぼうみたいなかお

わたしはわたしにしかできないからなあ。

すごいださいとおもうけど
おもったときなので書き残す。

すごいださいとおもうことも
ときどきすごい実感を伴っておもうことがあるから

そういうときのことは
事実として刻んでおこうとおもう。

きょうは早く寝る。

2017年9月7日

ソフボ

祖母にもらったイヤリングを日替わりでつけています。

赤、黄、緑、白

とりどりでとてもすてき。

祖母はおしゃれなのですてきなのをたくさんもっていて

あそびにいくといつも
わたしのためにおみせびらきしてくれます。

年齢の差、60以上なので
そりゃわたしにゃきられないわよ

みたいなのも大半なのですが

着てみるといがいとはまるものもあって

そういうのをさがすのがとてもたのしい。

祖父は宇宙がすきで
宇宙の本は全部あげる、と言ってくれています。

わたしも宇宙がすきだから
とってもうれしい。

ふたりとかさなる地点をみつけるのが
とってもうれしいのです。

2017年9月6日

てらされるここ

描きたい絵があるので
あしたもやることがある。

弾いてみたい音楽があるので
あさってもやることがある。

いってみたいところがあるので
しあさってもやることがある。

たくさん、たくさん、やることがあって
毎日生きることがある。

いつも言っているような気もするけれど
何度もそのことに気付いて

なんどもあたらしいことみたいに
そのことに元気をもらう。

誰に出会っても
その人の歴史はその人にしかないもので面白い。

どうしようもなくその人だけの歴史で、面白い。

まちじゅうみんな、そうであって

みんなひとつぶひとつぶのかがやきがあるんだけれど

だれかとであったり、はなしたとき
その反射でしか、じぶんのかがやきを視認することはできなくて

でもひとりでいてみつけられたら
ひとりでもいられちゃうから

だれかといてみつけられるかがやきで、よかった。

2017年9月5日

雑記

ツイッターをはじめたころは
140字に何をかけばよいのかわからなかった。

でもツイッターをはじめて2年が経ち

あらゆるものごとをみるときに
140字に収めようとする思考が自然に働くようになっていた。

それは140字以上で思考できないということでもあって

これはいかんなと、頭の中の字数制限を解除してみた。

そうしてこのごろは、ここで
毎日何かを書いている。

今は思考に字数制限がなく
延々ととりとめのないことを言える。

もっととりとめがなくてよいとおもうし

もっとまとまらなくて
もっとゆきさきがなくてよいとおもう。

つくところには、つく。

2017年9月4日

コードチェンジ

秋は必要以上に、執拗にセンチになるし

とにかくねむたくてなんにもできなくなるから

毎年苦手でたまらなかったのだけど

今年は、ああ、来たね、これね、これこれ

と先手を打って構えていたので
わりかし大丈夫。

慣れ、であろうか。

しかし、慣れ、といっても
感じなくなってなかったことになるのでなくて

よく知った感覚、と認識しているだけで

この季節の鮮度は、今年もなくならない。

感覚と認識はまったくちがうんだな。

朝なんか、やわやわなので

音楽を聞くだけで毛布に包まれたように安心する。

こんな音楽が作れるなんて

世界中を、わずかな人たちで、
大きな毛布で包めるなんて

すっごいなあ、とただただ感心していた。

アコースティックギターをちみちみ練習した。

すきな音楽家の音楽が、思ったより簡単に弾けて

とてもうれしかった。

2017年9月3日

ひみつのぽえっと

先日千秋楽を迎えた
朝劇下北沢平日「下北LOVER」

わたしは歌手を目指して下北沢へと上京してきた女を演じていました。

彼女は自分なりに音楽を作ってみようと悪戦苦闘するわけですが
なかなかうまくいかないのです。

9時に物語が始まる30分前
お客様がお店にみえる8時半から

わたしの演じる女は店内のテーブルに向かって
ひたすらに歌詞を書いています。

劇中でも、ドツボにはまり
わけのわからない歌詞を発表するというシーンがあるのですが

毎回、本気で歌詞を考えていたら
千秋楽でちょうどノートがいっぱいになりました。



きょうは、その歌詞を、せっかくなので
書き並べたいと思います。

日付は無記入ですが
公演が始まった昨年の10月にかいたものから順番に。
落書きを添えて。




「アモーレミモレット メッチャモッツァレラ
カモンカマンベール チェダーチョーダイ
ベリーブルーチーズ たいせつなのは結果より
そうよプロセスチーズ」

「キャロットペロッと キュロットペロッと
ひるがえしても大丈夫 キュロットだったら大丈夫
タロットペロッとめくってペロッと
運命わかるわ あなたの未来」

「それとって
そうそうそうっす ソイソース
おいっすおいっす オイスターソース
いかりやちょうさん イカリソース
うっすうっす ウスターソース
ソースーソースー 深呼吸」

「上を向いて歩いたよ 鳩のフンが落ちたよ
下を向いて歩いたよ 電柱にぶつかったよ」

「すりきれた初夢 使い古しの大吉
去年のしあわせ 詰め合わせた福袋
もうすこしへんなにおいがしてる」



「野鳥の会のひとたちも 数えてくれないわたしのなみだ
すずめのなみだ ちょうだいな
からすのぎょうすい こうずいだ」

「雑煮はなんで 雑煮と書くの
新年早々粗雑なもんね
おこるぞ おこるぞ おこっちゃうぞ」

「ねぼけまなこに なまこぬめぬめ
なめてのたまう なまけもの」

「こゆびほどの愛 おやゆびほどの雑念
ひとさしゆびほどの軽蔑 なかゆびほどの預金
くすりゆびほどの執着 あしのこゆびをぶつけるほどの痛み
ああひとり だれにもとどかずに」

「ありのすほじくり あいうえお うかれたありくい おどってる
かきめし やきがき かきくけこ ここまでかきくう やついるか
さしめし すしめし さしすせそ そしらぬそぶりで さしせまる
たちかわ たてやま たちつてと とちかん てんで ありません
ななねん のろのろ なにぬねの ねんきがはいって ぬまのそこ」

「咲いた咲いた 長ねぎの花が
冷蔵庫の底で ひとしれず
白髪ねぎ 白髪もひとしれず
はえるよね まえがみあたりに」

「ほたるいかのようにおいしいのなら
わたしはいつまでもちいさくありたい
しんじゃがいもがもてはやされるのなら
わたしはいつまでもちいさくありたい
ぱくぱくちぎょ ぱくぱくちぎょ
おとなになんて なってたまるか」



「くりぼっち おいてけ くりきんとん
くりすますより こうはくなます
七面鳥より 七福神
サンタさんより もんたさん ダンシングオールナイト」

「もういくつも寝たので 寝正月
寝正月には初夢も 希望も何もないんだよ
早くこいこい大晦日」

「一人雪合戦はいそがしい
雪だるま作ってひとりでわお
リアクションも追いつかない
寒いねと言える人のいるあたたかさよ」

「くるぶしからあふれるこのメロディー
君に届けたいそう願うよ
ありがとう
くるぶしのこぶしがまわりだす」

「ロバの老婆 工場で働いてる
老婆心から 給与の相場は月給1800円
メンバーも皆ロバ 馬車馬のように働いてる」

「しじみのような瞳で 見つめる君からいいダシ出てる
涙という名のダシ
二日酔いに効く君に また酔いしれる朝」



「めんくいのありくい えりごのんでありをくう」

「スルメタイプだねと言って 二度とあってくれない君は
どうせスルメのおいしさをしらないのよ
おどりぐいがすきなのよ おどらされたい人生なのよ
友達以下 恋人以下 いかいかいっか まあいっか」

「スイカを泣かせる罪な男
甘さ引き立てる罪な男
しょっぱい涙は俺のもの
よこしま たてしま 恋模様
あの島 この島 夏が来る」

「蚊取り線香落ちきる前に
落とすわあなたを恋の中
うずまきめぐるわ ぐるぐるる
もう二度と目を覚まさない
血イ吸うたろかなんて言わせない
蚊取りマイラブ オンリーマイラブ」


そしてこれが千秋楽スペシャル。
メンバー紹介。

「いかすスイカガール
ミンミン鳴いてるムーミン大使
もしもしあしこしさしでがましい
みようみまねのものまねねえさん
160センチメートルのセンチメンタル
はらはらまさかの急展開
コナコナ来ないか秋の空
なつのおわりの なつみそか
あーそっか まーそっか もーいっか
もっかいやるか もうないか」

以上。
おたのしみいただけましたか。

歌手を目指す心の模様は
日々の自分と重なりどんぶらこどんぶらこと
ゆらめくばかりでした。

たくさんの種類の涙を知りました。

たくさんの初心をおもいださせてもらいました。

たくさんのありがとうを、日々に持ち帰らせてもらいました。

センチメンタル、ありがとう。


2017年9月2日

あいのうたにせつかれて

「いろんな人がいていろんなことを言うよ
「お金がすべてだぜ」と言い切れたならきっと迷いも失せる」

とはキリンジのDrifterの歌詞ですが

たいていの日々はそうおもうけれど

この1週間ほどはそうおもわなくて
それはとてもいいことだとおもう。

この前は「気持ちいいことしかしない」と不意に宣言した。

それはやりたくないことをやらないとか、そういうことじゃなくて

たぶんもっと自分が気持ちよく取り組める状態であり続ける努力しかしない

という翻訳が適切だとおもう。

気持ちよい、がよくわかった数日は

いろんな人がいて言ういろんなことも

気持ちよいものが際立って見えて
迷いはなかった。

2017年9月1日

そこにきざむ

またも恩師の彫刻展をみにいった。

あんまりおもしろくて、先生に質問がやまない。

質問が湧いてくる状態ってすごくいいなと思い、記録にとどめたくなる。

わたしの中に蓄えがあって、みたものを受け止めるだけの何かがあるからなのか

わたしがわからない、ということを、わかっているからなのか

目に映るものをまっすぐに受け止められる状態だからなのか

なににせよ、言語がある状態というのは、よい。

自分のなかにあることを、そとに言語化できることというのは
自分にも、他者にも、よいようにおもう。

言語化できないからくるしい。

他者にいきどおる。

いまはとてもやわらかく心地よいなとおもう。


いつもは国内の作家さんの展示なのだけど

今回のは、世界の作家さんの。

いつもだって、人それぞれ多様で面白いとおもっていたのに

世界となると豊かさがすごい。

国内に見る彩りとかなりちがって
風土と文化、言語のちがいを感じる。

かおりが、ちがう。

そのなかでも日本人の先生の作品は
いつもどおり、やさしく木肌に透ける体温といのちのかたちを放っていて

先生だなあ、とおもった。

この前インターネットで、
インターナショナルスクールに通う日本人のお子さんが

日本人の教室とインターナショナルスクール
両方で描いた自画像を目にしたのだけれど

おなじお子さんが描いた絵なのに
色彩も、絵のタッチもまったくちがっていておどろいた。

よく帰国子女の友人が
英語を話すときは人格が変わるからびっくりすると思うよ

というのを聞くけれど、きっとこういうことなんだなと思った。

その話を先生にしたら

言語というのは、発する人のからだそのものの状態を変えるのだよね

というようなことを言っていて、なるほどなあと思った。

その言語を発するのに必要な、からだの状態というのがたしかにあって

それが人格をも変えるんだろうな。

芝居をしていて、からだの状態から変えて見ることがよくあるので、一層納得した。

それにしても、言語の影響は興味深い。

別の言語を知ることができたら、
別の世界の人と話ができるだけじゃなく
別の自分とも出会えるのか。

そうそう

何年も見ているのに、当たり前すぎて聞けなかった

彫刻の定義って何ですか?という質問ができた。

そこに在る、ということ、だと言っていた。

ものすごく、いいとおもった。

だからすきなんだ、と、おもった。

ので、ねる

ねむくてねむくて意識が飛びそうで

だけどやることがおわらなくって

もうねるか?

いや、寝たら起きれるか?

でも起きててもできるか?

でも寝ちゃったらできるか?

と自問自答してる間に迎えた九月です。

結論としては寝ないと無理そうで

もうすぐあきらめて目をつむるところ。

八月最後の日は、いいお店と店主に出会えてとてもよかった。

仕事ぶりが鮮やかで、面白くて、

詳しくはもったいないから誰にも言えない。

人に元気をあげられる息の仕方って、大切だなあと

こういう人を見ると思うのであって

わたしも健やかでいようと思った。

「わたし、もうわたしのきもちいいことしかしない!」

これは、夏の終わりに急に目を見て宣言した、わたしのことば。