パンとコーヒーと物語と、

あさからずっと
きょうのことはかいておこうと
ずっとおもっていて

くちのなかに、あたまのなかに、
こころのなかに、
からだじゅうに、ふくんだものを

こぼさないようにあるいていたんだけれど

どうやってわたしのなかからだしたらいいのか
まよいあぐねてたら、よるになった。

それはとってもふくよかなじかんで

いちにちかけてもういちど
そのとてもきれいなものを
ぜんしんにくゆらせていた。

けさは朝劇下北沢で

『いつものいつか』という作品の
ひとつの到達点を
みたきがした。

それはわたしが書いた、という事実をぬきにした
現象としての
そこにおこるものの ひとつの到達点を見たという意味で

だからはずかしげもなく
そんなことを言ってしまおうと思った。

ゲストの藤村聖子さんが物語のなかで
セリフにはなかった「ああ、いい朝だ」
ということばをはなって
その空間を去ってくださった。

そこに起こること
ちいさな、ちいさな、機微
全員がそれに目を凝らし
こぼさないように手渡していったさきに

とてもシンプルなことばを置いて帰ってくれた。

本編が終わり、アフタージョイでミニライブをしてくださった
「おとなり」のおふたり。

ふいにうたいはじめた
『パンとコーヒーと物語』という曲に
「朝劇」という歌詞が登場し
その曲が朝劇下北沢のために書いてくださったものだと気づいた瞬間

おどろきがせきとめをこわして
反射のようにあらゆるすべてがあふれてしまった。

ちいさな、ちいさな、日々
知らないうちに、知らないところで
だれかが、
想像しているよりもずっとずっとたくさんのひとが、
そのちいさなかけらを拾って
つないで、つむいで、いてくださっていること

そこにある時間や思いやなにかへの想像が
一瞬のうちに宇宙みたいにひろがって
どうにもかかえきれなかった。

ちいさな、ちいさな、自分ではかき消してしまうような
あらゆるものを
ここで、どこかで、だれかが
日々つかまえてくれていることを知って

いつもそうであるのに気がつけないことはおろかだけれど、

なによりもその偉大さに
爆撃をうけるようにからだがうたれた。

とてもおおげさにきこえてしまうけれど
ほんとうにそうだった。

そのことを、そのときのからだの感覚を

どうにかして書き残そうと
けさからずっとおもいあぐねていたのだけれど

けっきょくのところ、いまも
うまく書き残せる気はしていない。

だれかとだれかの触れた瞬間

そこにはいつも
ちいさなおおきな
ビッグバンがおきている。

まぶしいくらいの閃光が
すべてをみえなくさせるくらいに一瞬を照らしたあとに
何かが見えるような一筋の光を残してくれる。

ありがとう。

ありがとう。