いとせず

大事なことならばまた思い出すしいいか

とおもっていたのだけど

やっぱり
感じたことはその瞬間に伝えたほうがいいような気もしてきて

移動の隙間に必死で書き残す。

なによりも

感じるのは意外と簡単かもしれないのだけど

感じたことを人に一番よく伝わりそうなことばをみつけるのは

とてもとてもたいへんなことで

その糸のさきって

出てきたとおもったら次の瞬間にはどこかへ行っていて

二度とその糸を引き出せなくなってしまって

その長い糸のお尻にあるものになんて、一度も出会えずに終わってしまったりしそうで

やっぱりその瞬間は逃しちゃいけないみたいだ。



おなじひとの、おなじ位置につく、おなじ瞳にも

そのときによってうつるものはまったくちがっているようで

あのときそうは見えなかったことが

いま、そう、見える

ということをとてもよく感じるようになった。

じぶんひとりのなかでそんなにもおおきなちがいがうまれるのだとしたら

他人と自分の目にうつるものがちがうのなんて、ほんとうにほんとうにあたりまえのことで

ものすごく納得がいったような感じがしている。

日々を生きてるってあんまりにもそういうことで

だからこそ今見つかった糸のさきは

今しかつかまえられない。

それが正しいか、良いか、そんなことではなく

今見つかったことは今しか実感を持って見つけられない。

それは、誰のも、どんなのも

おんなじに尊い。

それだけのこと。