日曜チーム
『いつものいつか』(脚本)
作 福永マリカ/演出 原将明
@下北沢CAFE VIZZ
12月23日(土)30日(土)9:00〜
ご予約はこちら

朝劇下北沢プロデュース
『夜に生きて、』(出演)
作・演出 松澤くれは
@CAFE VIZZ
12月16日(土)9:00〜
完売いたしました。

◉日本劇作家協会主催リーディングフェスタ
『食べるを読む』
12月16日(土)
@座・高円寺
詳細はこちら

◉ショートフィルム脚本
空中メトロ『openroll』
上映会&ライブ
12月17日(日)18:30〜
@下北沢・近松
詳細はこちら

◉一人芝居フェスティバル
APOFES2018』出場決定
作・演出 福永マリカ
出演 関森絵美
1月17日(水),21日(日),28日(日)
@千歳船橋APOC THEATER
ご予約はこちら

◉ミュージックビデオ

KANA-BOON『バトンロード』


シンクロリウム『ロングスリーパー』

◉映画
『漫画誕生』
2018年夏公開予定

◆エンターテインメント深堀トークバラエティー


2017年11月30日

排水の陣

歌い踊り低音でシャウトし
からだはクッタクタで
すぐに寝てしまうのだが

頭が冴えているのか
とんでもなくよく夢を見る。

いつも夢はよく見るけれど
いつにも増して、見る。

それも、極上の悪夢。

きょうはなぜか監獄にいて
なのに出入り自由で
もはや よい宿で
その自由がとても不安になる夢だった。

しまいには教官と
矢野顕子さんの『ひとつだけ』をデュエットしていた。

今とても自由な状態で
でも不自由の中にこそ見つける自由が好きで
欲しいものは限られている

的なことが夢占いでもやったら、出そう。



目覚めてまどろんで

劇場へ向かう電車のなかで、とてもいい文章が読めた。

おかげでとても呼吸がしやすくなった。

11月が終わる。

舞台も本番中だけれど
ほかにもすすめていることがいくつかあって

まにあっていないなあ、とおもいながら、終わる。

今年の仕上げの月に入る。

でもなんだかきょうは

その、出会えた文章のおかげで

気合いともちがう

ねぎらいみたいな力がわいてきた。

ゆきすぎるのが苦手だから

まひするのが苦手だから

表面張力のぎりぎりまでふんばったら

ズゴゴゴゴと水を抜いてみたりする。

いったりきたりのここがいい。

2017年11月29日

やさしい評論家



夜公演だけの時は

出かけるともう、夕日がさし始めていて

とてもふしぎなきもちになる。

これからあの大きな舞台で、やるのかあ。

おだやかすぎてわすれそうになる。

劇場にはいるまえに、カフェラテを買って行くのが日課です。

やさしさばかりもとめています。

じぶんでじぶんにやさしくする方法をおぼえたら

とてもらくちんになりました。

おとなになるっていいなあ、とおもいます。



昨夜も『一枚のチケット〜ビートルズがやって来る〜』ご来場いただきありがとうございました。

余談ですが、華やかなカーテンコールをやるのが、実はちょっとたのしいです。

普段の芝居だと、カーテンコールは無の状態で立つので

華やいだ気持ちで立つのはなんだか
あたらしくたのしいですね。

演劇ってほんと、いろんな種類があるのだなと
こんなところでも感じています。

さて今夜も19時から。

どうやら当日券もありそうです。

こんなにも動く福永も、そうそう見られないと思いますので
ぜひ見にいらしてくださいね。

2017年11月28日

踊る評論家

演劇女子部
『一枚のチケット〜ビートルズがやって来る〜』
無事に初日の幕が開きました!

ご来場いただいたみなさま、
本当にありがとうございました。

やっぱりこの日のために作ってきたのだなと思わざるを得ない
まったく違う空気が

客席から滲み出し舞台の上に届きました。

拍手や笑い声が、音楽のように舞台の一部になってゆく感覚はとても新鮮でした。

わたしとしては、この仕事をはじめて15年経ってはじめて踏む舞台でした。

歌って踊れる歌手になりたいとはじめた15年前から

予期せぬ世界で、予期せぬことに挑戦し
続けてきた結果たどり着いた今

またこうして歌って踊って
さらに芝居をしていること

それを人と一緒にできていることが
うれしいです。

稽古中から、歌うこと、踊ることによって起こる
からだの熱や、衝動に、なつかしさやあたらしさをおぼえ

とても動的なエネルギーを感じていました。

思ったままにからだをうごかす
うれしいきもちを踊りで表現する

そんなとても原初的な感覚に触れて
こころが解け

自然児になってゆくこのごろです。

しかし役柄は、保守派のおじさん
ということで

からだをきゅっとして、顔をしかめて
最後まで己の守りたい古き良き時代を
守り抜きたいと思います。

わたしの持ち場を、守ります。

今日も夜公演、頑張ります。

2017年11月27日

やって来る




『一枚のチケット~ビートルズがやって来る~』
いよいよこのあと初日です。


はじめて立ってみる紀伊国屋サザンシアターはとてもひろくて

こりゃどうにも一人の力じゃ無理で

ここにきてまたグッと、言葉にせずとも結束が強まったような感じが

すこしうれしかったです。

今年最後の舞台

なんやかんやかぞえてみたら
朝劇をのぞいて
今年7本目?くらいの舞台

やどかりみたいに
いつも新しい家で新しい人と
新しいものをつくる暮らしですが

今回は一段と
風変わりな家です。

様々な場所で鍛えてきた人たちが

海を越えて集まって

言語も、文化も、ボディランゲージも違う中で一つのものを作るのは

難しくもありますが
発見だらけで面白さがまさります。

共通言語を探したり
互いの言語を尊ぶことで
積み重ねてきました。

その人と人の向かい合い方は

物語の舞台である1966年、ビートルズがやってくるときの日本の人々のそれと

とても重なるところがあるように感じています。

それぞれの生きてきた場所
確かめてきたこと
変わる瞬間
守るもの
譲れないもの
変わらなくてはいけないこと

さまざまな方向へ向かうエネルギーが

それでも混沌というひとつのかたまりになってぶつかります。

その瞬間を、みにきてくださるかたとともにすごせることを
たのしみにしております。



演劇女子部
『一枚のチケット~ビートルズがやって来る~』
11月27日~12月3日
紀伊国屋サザンシアターTAKASHIMAYA

2017年11月24日

困る

ねむりにねむったのに、まだねむたくて
強欲っぷりを発揮している。

雑記、毎日書けなくて

情報も書きたいし
仕事の話もしたいし
最近思っていることも書ききれていないし

うーん、困る。

きょう、夢で
後少ししか生きられないと告げられた時

思わず出た言葉が
「え。困る」だった。

いつも追っつかないみたい。
え、困る。
いつもそうなきがする。

慢心したくない、といつもおもうし
妥協したくない、とおもう。

愛のないことはしたくない。

けれど

愛を暴力にもしたくない。

いったりきたりするまいにちだけれど

いったりきたりするところに
慢心しない、があるきがするから

まけないぞとおもう。

さだまってしまえば
とどまってしまえば
そりゃ楽なんだけど。

何かを信じ切ってしまえば
そりゃ楽なんだけど。


限りある日々

限りあるひとり、ひとりと

限りあるちからで

限りある時間を。

限りないものを抱いてしまうからこそね、。


さいきんは
あんまりに短い期間で
あんまりに自分にとって大切なものが変わるから

ばかみたいにその変化が面白くて
自分の変化を楽しむゲームだと思い始めたよ。


そうだ、
来月、日本劇作家協会のリーディングに参加することになりました。

リーディングは不慣れなのですが
日本劇作家協会の年に一度のイベント
素敵な顔ぶれ
素敵な戯曲と
うれしいに囲まれて
存分にたのしもうという気概です。

チケットも発売中。ぜひ。

「食べるを読む」
12月16日(土)18:30〜
座・高円寺2

食にまつわるリーディング&トークセッション。
詳細はこちら
http://www.jpwa.org/main/activity/reading-festa/


うーん、はなしはつきない。
こまった。


2017年11月21日

あまい密

時間の流れが
体感としてよくわからない日々に
気づいたら突入していました。

気づいたら、でもなく
気がつかぬうちにその日が終わっていて
次の日が来ていて

何が昨日で
何が一昨日か
あんまりよくわかりません。

たぶん集中しすぎているせいだとおもうんだけど

あんまりにそのときどきで
時間の密度や速度のようなものが体感として変わるから

たまに我に返っておどろきます。

昨日、ふとそのことを考えて
ココハドコワタシハダレ状態になりました。



さておき
朝劇下北沢×松澤くれは
『夜に生きて、』
無事にはじめの2回公演をおえました。

たくさんのかたにご来店いただき
本当にありがとうございました。

いつもの朝劇下北沢と
同じ時間、空間なのに

そこで待ち構えるひとがちがうだけで
こんなにもちがう時間と空間になるのだなあ。

人の出しているエネルギーって
魔法みたいですね。

終演後の空気や、お客さまの表情を感じると

くれはさんの作品の威力を実感しました。

朝劇下北沢主宰の原将明さんが
「僕たちの朝劇下北沢は、お母さんが子供に食べやすいように味付けした卵焼き。
くれはさんの朝劇は、素材の味を生かした卵焼き」
と形容していましたが

うん、なるほど
そうかもしれない。

はじめにくれはさんから台本をいただいたとき
そこに織り成された緻密な交わりや、新しい朝の認識にドキドキすると同時に

原将明作品の、いい得ないやさしさは
ほんとうに朝の密度に合っているなあとあらためておもい

どちらも、一層のすてきさを感じたことを思い出しました。

わたしのこの頃の日々の時間の密度が
同じ24時間でもちがうように

同じ朝劇でも
これだけちがう時間になる。

その発見に、我ながらおどろいています。

公演はあと3回。
たのしみです。

そうそう、初回は
朝劇下北沢メンバーの渡辺コウジさんと関森絵美ちゃんが来てくれたのだけど

長い旅をして兄弟と再会したみたいな
じんわりした気持ちになって。

毎日たくさんの場所ですごすって
どれもが自分の芝でありながら
どれもが隣の芝みたいで

ずっと青くてうつくしいのです。

2017年11月16日

環況

なかなかおはなしできていなかった

このごろなんのお仕事をしているのか

なんとなく、数日でさらいました。

新人監督映画祭に参加した
映画『不感症になっていくこれからの僕らについて』

今週末初日の
朝劇下北沢×松澤くれは
『夜に生きて、』

再来週初日の舞台
演劇女子部
『一枚のチケット〜ビートルズがやって来る』

そのあいまに
朝劇下北沢脚本作
『いつものいつか』

来月千秋楽
朝劇下北沢平日
『リブ・リブ・リブ』

そして来年はじめにどん!
ひとり芝居フェス
『APOFES2018』の脚本・演出

さあ、年末年始、ダダダダダッと
走る走る、です。

ほかにも来年にかけて
すてきなあれこれの準備がはじまっていて

あたまのなかの
たくさんの部屋でパーティ状態

カラオケボックスみたいに
防音しておりますが

たまに隣の音が聞こえてきて
つられて歌ったりしています。
(伝わりにくい比喩)

かけもちを心配してくださる声をいただいて、ありがとうございます。

でも、かけもちだから
いまはらくちんみたいで

回転がかかるといいますか
相互に湧き出す仕組みができているようで

ひとつひとつにゆきわたって

いまはいちばんスムースです。

からだがいちばんたいせつですからね

過信せず、やすませながら
からだとともにゆこうとおもいます。

あと、ものすごくどうでもよいですが

ひさかたぶりにコスメ!ってかんじの化粧品を買いました。

コスメ!ってかんじの。わかりますか。

すっぴんではなくなる、程度にしかお化粧をしないのが常なのですが

華になるような、コスメ!を、買いました。

やっぱりすこしうれしくて
女だった、みたいです。

はじめて自分で髪の毛を巻くという試みにも挑戦しています。

やればできる、

いやそもそも
わたしは美容師の子どもだったのだ

と血が騒ぐのを感じております。

とかいって
春頃にも似たようなことを言っていた記憶があるので

おそらくすぐにめげますが

こんな日々もたのしいですね。

前髪を伸ばしてみていたりもして

これも春頃にも言っていたことなので信用なりませんが

造形の変化をたのしんでおります。

そうそう、やはり
変化がたのしいから

きっとまたわすれて
わすれたころに見出して

よろこびの報告をするのでしょうね。

2017年11月15日

Come Together

『一枚のチケット〜ビートルズがやって来る〜』

密かに、綿密に、お稽古しております。

昨日は、音楽もすべて入っての通し稽古。

ミュージカル、おもしろいですね。

なにかをつくるときはいつも
いろんな持ち場の職人たちのちからが
だんだんとあつまってくるのがとてもたのしいけれど

ミュージカルとなると
そこにあつまるおんがくを
自分が歌えて、踊れて

職人たちとまたちがうかかわりができて
とてもたのしいです。

そしてわたしはまた
矢島舞美さんを好きになってしまいました。

ひさびさにあった舞美ちゃんは
かわらず真摯で
日々刻々と進化していく様も
かわらなかった。

かわらず、かわりつづけていました。

舞美ちゃんが一層
そこにすっくと立てるように
わたしもわたしの持ち場で
しっかりがんばろうと
かみしめております。

ビートルズをはじめて日本に呼んだプロモーター
永島達司さんの物語。

舞美ちゃんの誠実さと、綺麗に重なって

そんな清らかなレンズを通して覗く未来は
胸が苦しいほどにまっすぐです。

ビートルズが日本にやってきた1966から見た未来
そして、今、ここから見る未来

遠いようでとても近く
実感を通して響くような気がします。




演劇女子部
『一枚のチケット〜ビートルズがやって来る〜』
脚本:清水有生 演出:星田良子
11月27日(月)〜12月3日(日)
紀伊国屋サザンシアター TAKASHIMAYA

2017年11月14日

ひとりひとりのひとり

ひとは不思議だと
スケールのおおきいことを
あいかわらずかんがえてる。

意識というのは
ほんとうに不思議。

おなじにんげんでも
一ミリでもそのフレームがズレると
まったくちがうひとのようになる。

フレームが動かせるようになるにも
一苦労だけれど
動くようになると日々変わる。

止まれないくらい、変わる。

ほんと不思議。

最近は、日々、いろいろな場所で
いろいろな仕事をしているから
なおのことそれを感じる。

なにより同時に
たくさんのひととともに時間を過ごすから
ひとり、ひとり、を
粒立って感じる。

それがいま、とても、興味深い。

正確な調査をするために
たくさんのデータが必要なように
たくさんのひととすごすと
自分がどこにいるのかよく見ることができる。

瞬間、瞬間に、
全身でいるけれど

こうして帰りの電車に乗ると

どこにもいないわたしになって

そのすべてにいたわたしを
とおくからながめる。

ごった煮の時間が、実はとてもたのしい。



来年のはじめ

関森絵美さんが出演する
ひとり芝居フェスティバル『APOFES2018』に
脚本・演出で参加することになりました。

絵美ちゃんが、つよく肚を決めた眼差しで、わたしに託してくれた瞬間のことを

とてもよく記憶しています。

わたしは、たのしそうだからと
「いいよー」とかろやかに返事をしたけれど

その後、どんなふうにつくるか
たくさんことばやなにかを交わす中で

絵美ちゃんのあの瞬間の「覚悟」の意味を
ゆっくりと理解したようにおもいます。

そしてきっとこれは

絵美ちゃんにとって、からはじまり
わたしたちにとって、
わたしにとって、

まるで脱皮みたいな
事件になる予感がしています。

わたし自身が
頭の先からつま先まで
生まれ変わるように、臨むつもりです。

ふたりで、
生粋のひとりを
つくります。

どうぞ、ご期待ください。

『APOFES2018』
2018年1月12日〜28日
千歳船橋APOC THEATER


2017年11月13日

生きていて楽しい



生きていて楽しいです。

いつおわっても悔いがないとは
こういうことなのではないかと思いました。

うそだろそんなもんあるかよ
という声も頭の中で聞こえますが

不意にそう思えたので信用しています。

何ができているか、ということでなく

毎瞬間、本当に美味しいのです。

甘い味も、苦い味も、酸っぱい味も、しょっぱい味も
すべて新鮮で自然な味がして

たまらなく心身に沁み渡るのです。

なんだか、心臓が強くなりました。

内側がマッチョです。

毎日、そんな、内側の筋肉量の変化を
ひしひしと感じている不思議です。

ひとって本当にうごめいているのだなあと
じぶんのことをみつめながら学び

生きるって飽きないですね。

昨日は、新人監督映画祭にて
『不感症になっていくこれからの僕らについて』
初上映を無事に終えました。

満員札止め
お越しいただいた皆様、本当に有難うございました。

わたしも予定がうまく行き
上映に立ち会うことができて
本当に良かったです。

この作品に参加し、演じ、
あらためて
この仕事は面白いと感じました。

とてもゼロの状態で
ただそこにいて、聞いたり、話すことができ
そんな現場作りをしてくださった
全員に心から感謝しました。

品田監督と映画祭で会って話していて

わたしはわたし自身と芝居を
切り離せないということがよくわかりました。

なにごとも、じぶんごととして
感じたり考える

そのわたしのくせを、品田監督が
作品の中で力に変えてくれたことが
とてもうれしく
これからのわたしの自信になりました。

作品がこれから、たくさんの旅に出て
たくさんの人に出会えるように
ずっと手を添えていようと思います。



日々、情報も、経験も、感情も
時間を超えておそってきて
渋滞しています。

だからこんな自分ごとの雑記ですが
ひとつずつ書き残すことで
日々を次へ送っていくことにします。

まだまだ、話は尽きないのです。

2017年11月12日

これから

出演作『不感症になっていくこれからの僕らについて』が

昨日よりユナイテッドシネマ豊洲にて開催されている
新人監督映画祭に参加しています。

昨日はオープニングセレモニーに参加させていただきました。



思いも寄らず、いつかに一緒にお仕事をしたかたがたともお会いできて

映画祭の喜びというのはこういうところにあるのだなあと実感しました。

「映画を作る」というドレスコードで集まるパーティ。

おのおのの作品をもちよって、
別のチームのかたと顔をあわせる機会をもつことはなかなかなく

近いのに遠い、なんだか親戚の集まりみたいで
ほくほくしました。



なかよしの藤村聖子ちゃんも
出演作『ぶきっちょ』で参加中。

レッドカーペットにあがるまえ
そわそわしながら会えて

なんだろう、とんでもなく嬉しかったです。

それぞれがせっせと歩いた日々の先で
同じ場所に立てること
やっぱり嬉しいことだと思います。

そう、レッドカーペットも歩かせていただきました。

うみのみえるレッドカーペットは
どこまでもつづくようで
とてもはれやかに歩きました。

「世界の歩きたいレッドカーペット、書き出しといてね」
という激励のメールをいただいたあとだから
なおのこと、でした。

たくさんのひとを感じて歩きました。
ご来場いただいた皆様も、ありがとうございました。

さて

ここからが、映画の旅です。

『不感症になっていくこれからの僕らについて』

品田誠監督の、最新作です。

品田監督は数年前に役者として共演した時に出会い
今回初めて監督作に参加させていただきました。

数年ぶりにお会いした品田くんは「品田監督」になっていて

作品を、そしてその中にいる人間を
驚くほどにしっかりと「見て」いました。

好きに呼吸のできるとても心地よい場所で
本当にいい経験をさせていただきました。

というとなんだか薄っぺらくなってしまうのですが
作品の外で言えることは
それくらいしかないのです。

今回、ミュージシャンの役を演じたのですが
なんと劇中で
関森絵美さんの『旅の朝』
を弾き語りさせていただきました。

彼女が私を思って書いてくれた曲を
自分の歌として歌う。

すでに皮膚のように溶け込んでいた曲なので
とても自然なことのように思えて

だけど、この曲と、絵美ちゃんとも
映画の中を、その先を、旅できること
やっぱりうれしいです。

物語に共鳴して
とてもよいピースになりました。

絵美ちゃん、ありがとう。

出来上がった作品を見た時なぜか
わたしにとっての復帰作のようだなと思いました。

日々、何かしら動いているので
何が「復帰」なのかわかりません。

でもなぜだか、そこに立つ自分を見た時に
そう思ってならなかったのです。

とても見て欲しい作品になりました。

本日上映です。

ぜひ、ご覧ください。

『不感症になっていくこれからの僕らについて』
11月12日(日)16:35
ユナイテッドシネマ豊洲 スクリーン5

http://ndff.net/filmslist/

品田誠監督と。

2017年11月9日

つくつく

とても大事な時間を
過ごしているような気がする。

オーダーメイドで
人と話したり、過ごしたり、なにかをつくるひとはすてきだ。

くらしのなかでも
しごとのなかでも

そういうひとがすき。

きょうは大切な関森絵美ちゃんの単独ライブ。

いくことができなかったけれど

こんなにも大切に思えてうれしいです。

わたしもがんばる。

2017年11月8日

壊れて消えた

散歩をしていてふいに

「等身大の老後」という言葉が浮かんで

なんだかピンときたのか、気に入ったので、すぐにぽっけにしまった。

しまってから、出して、
等身大の老後ってなんだろうと

駅のホームでかんがえた。

等身大の高校生、とか

等身大のアイドル、とか

なんとなくイメージできる。

等身大の老後、って、イメージしたこと、あるだろか。

等身大の老後

成長してるのに老いていくし
生きていくのに死に向かう

存在自体が矛盾だから

すべてが矛盾にならない、感じがした。

そんなことを考えながらノーヒントでむかった観劇

TOKYOハンバーグ
『しゃぼん玉の欠片を眺めて』

期せずして、ひとりのおじいさんと、贔屓にしているお掃除業者、家族、の話だった。

そこにあるのは具現化された「等身大の老後」で

なんだろう、
思い出してもぐしゃぐしゃに心がつぶれそうになる。

いや、物語はとてもやさしくてやさしくて

だけどこう、ぐしゃぐしゃになるのは

わたしと、老後、という単純な時間の隙間

その隙間が仮にだけれど埋まる感覚が

まるで空き缶が潰れるみたいに
ぐしゃぐしゃ、と音を立てる。

おもえば「等身大の老後」ということの中身については、高校時代からよく考えていた。

16歳から見た80歳、とかではなく

80歳の肉体の中にいる、
80歳として認識される世間の中にいる、
80歳のこと。

脚本に書こうと幾度となく思っていた。

わたしにとって、とても興味深いことのようで

たぶんそれは
祖父母とおなじ、横並びに立つことが
いちばん愛の伝わる形だと昔から信じ込んできたからだ。

それがよいこたえなのか
真偽はわからないけれど

舞台の上に立つおじいさんは

どうあれとても、とてもきれいで

すべての矛盾を全身に包括して
そこに現存していた。

ひとつ、ひとつの、筋がうごくたび
生きてきたこと、生きていることを放ち

その、在る、という説得力に息を飲んだ。

老いる、という語感は、後退のように感じてしまうけれど

その、在る、様、は

生きてきた日々の中で、削がれ、刻まれた、彫刻のようで

老いる、ということは
そうして作品の完成に向かうことなのだと、感じさせてくれた。

わたしも、生きていきたい、と思わせてくれた。

まちがいなく、そのおじいさんを演じた三田村周三さんの姿があってこそ感じられたことなのであるけれど

そんなふうにおもえる「生」があって、よかった、ありがたい、と、心からおもった。

また、そこにいるひとりひとりの在る様も、とても「等身大」であって

善も悪も、すいもあまいも、
すべて孕んで、それでも生きていていた。

正直に生きていいのだ、とおもえた。

これもまた、ありがたかった。

老い、と、家族。

愛、と、責任。

無償だからこそ、受けられない愛があること。

自分の人生を生きること

あなたの人生を邪魔したくないこと

ひとりひとりにおもいがあり

どうにも全員を抱きしめたくなった。

きっとそれも

物語の登場人物でないわたしだから、できる愛なのだと思う。

生きてるって嘘みたいだよね。ほんと。

公演が終わったら消えてしまう物語や

風が吹いたら消えてしまうしゃぼん玉と

さして変わらないね。

2017年11月6日

medium

仕事へ向かう電車の中で

Excuse me?と声をかけられる。

I want togo を伝えられ

ああ、let me see
こうやっていけばいけるよ
と伝える。

なんだか一緒に電車に乗ることになり

わたしはカタコトの英語で話す。

彼はロサンゼルスから、北京をわたり、東京へ来たらしい。

for music jobで。

名刺を渡される。

と、おもて面には英語で
裏面には日本語で
音楽プロデューサー、と書かれている。

Wao.

さらには有名な歌手と撮った写真をさんざみせてくれて

数少ないボキャブラリーから

Wonderful!

とか

Amazing!

とか言っていると

Your next holidayはいつだと聞かれ

next monthだと言うと

too hardだと言われ

You should あそび!と強く言われる。

さもないとfaceがbadになるぞと言われ

My faceはnow badかと聴くと

Your mediumと言われ

しまいにはHakoneへゆこう

と誘われました。

2017年11月5日

僕は思わずくしゃみをした

しぜんをもとめてるみたい。

先週末は気がついたら、山梨にいた。

その日、甲府では
『甲府城で逢いまショー』という映画の野外上映をやっていて

実は前から目をつけていた、けど、

朝から雨降りだったのに
まさかほんとにいくとはおもわなかった。

こういうときのじぶんのフットワークのかるさにはおどろく。

なんというかすごく
そこに「えー」みたいなきもちがうまれなくて

いく、と、そう決めた瞬間からのすべてがたのしくなる。

これは生まれ持った、ラッキーだなとおもう。

いざ甲府に着いた時にはすでに満足している感じもして

旅路が、その時間が、とてもちょうどよかったから。

でもおいしいごはんをたべたら、またたのしみがそそぎこまれた。

あたたまったからだで、いざ目当てのイベントへ。

その名の通り甲府城でおこなわれており、小山のうえにスクリーンが設えられていた。

上映の2時間前からすでに
ぽつりぽつりとひとがいて
ぽつりぽつりと降る雨に負けずレインコートで参戦する姿はなかなかおもしろかった。

例に漏れず私もそのひとりだったのだけど。


映画に加えて、上映前にライブもあって

タイの楽器を用いたバンド、モノラルミニプラグが演奏していた。

すでに雨は強くなりはじめていて

でも私の近くにいた4人家族のちいちゃいおんなのこは

レインコートを着てたのしそうに、お父さんに買ってもらったポップコーンを食べていた。

なんだかそれをみたとき、ふと、

ちいちゃいころ、我が家で月に一度ほどだけ許されていた

『お風呂でアイスクリームをたべる』というイベントのことをおもいだした。

ほんとはお行儀が悪いからやっちゃだめだけど
たまあに、だけ、湯船の中でアイスクリームを食べていいよって

なんだかその

やっちゃいけないことをやっているどきどきと

あったかいお湯につつまれて、口の中に広がるつめたいのを感じるたのしさ

すごくすごく鮮明におもいだした。

たのしいあそびをあたえてもらっていたんだなあということに気づき、

それはとてもありがたいことだなとおもった。

そんな風だったからわたしは
こどものころ、自分で遊びを見つけ出したり、日常をイベントにするのが得意だった。

砂壁に懐中電灯を当てて、きらきらひかるのをプラネタリウムと呼んだり

家の壁にイベントのお知らせを貼って
家族を巻き込んで開催したりした。

なんでも遊びやイベントにできるのは無敵だ。

野外上映という試みは、あの時のあの感覚にそっくりで

やっちゃいけないと勝手に思い込んでいる楽しいことの扉を開放してくれる感覚があった。

その日の上映作品は
甲府出身の富田克也監督作『バンコクナイツ』。

モノラルミニプラグのリズム

いっそう強くなった雨

雨の多いバンコクの思い出がからだにしみてくる

ラオスの広い空がスクリーンに映し出された時

スクリーンの先の甲府の広い空とつながって

この景色全部がスクリーンになった。

映画を観終わると、一瞬本当に、ここがどこなのかわからなくなって

甲府駅に歩く一歩一歩のなかで
踏みしめて取り戻しながら帰ってきた。

なんでも遊びにできる無敵モードを呼び起こしてもらった私は

味をしめて昨夜

葛西臨海公園でやっている演劇
ニッポンの河川『大地をつかむ両足と物語』を観てきた。

朝家を出て
電車に乗るまで全くそんな予定はなかったのだけど

思い立ってしまい、雨が降ってきたけど偶然にもレインコートみたいな上着を着ていたので強行突破

して、正解だった。

大地と海と空

観覧車とディズニーランドの花火

役者さんは身一つが、三人

寒いけど肩を寄せ合ってみるお客さん

ぜんぶがまるはだかのまま、機能しあっていた。

役者ってすごいし
人間ってすごいし
肉体ってすごい。

手があり足があり、
その先につかむ自然があり、
その自然の中に人間がつくったひかりがあり、

そのすべてを視界におさめて作品にする瞳がある。

身一つの無限をおもう。

身一つの自由をおもう。

だから想像しただけで泣けてくる。

まだ見ぬ、広大すぎる空が見えそうになるから。

まぶしくて、くしゃみがでる。

2017年11月4日

よきせぬよきこと

前もってきめるのでなくて

思い立ってきめるのがすきで

舞台を当日券でみにいくことも増えた。

旅もその日に思い立っていく。

少し前まで想像もつかなかった場所にいて

少し前まで想像もつかなかった景色をみているのが

とってもすき。

自分で自分にサプライズ。

そしてこのごろ

想像しただけで泣けてしまうので

思い立った瞬間は、たいてい泣きそうになる。

興奮で。

でも、想像しただけで泣くのおかしいな

と瞬時に気づくのぇ

涙にならず、くしゃみみたいな咳みたいな

変な何かになって終わる。

とっておく。

想像がほんとになる時まで。

きょうも行き当たりばったり

出かけてみました。

あいにくのあめですが

はじまる前にまた泣きそうになっています。

そのお話は、またこんど。

2017年11月3日

かたおもい

あれもこれもやらなくちゃ、と

いろんな道具をリュックに詰めて歩いてたら

すっかり肩こり。
(比喩ではない)

だいたい使わないパソコン
持って歩いちゃって

肩が重くてベッドに倒れて寝ちゃうんだよな。

外でちゃんと使うか

家に置いて行って、帰ってから軽やかな肩でパソコンに向き合うか

どちらかにすりゃいいのにね。



きょうはあたらしいおしごとがはじまり。

おはなししながらつくりたくて
とくに準備をしないようにしつつも

例のごとく重たいリュックを背負い
(比喩ではない)

門を叩いてみたところ

想像以上にやわらかく
ただ、会話をすることをしてくださるかたがたがそこにはいて

そのやわらかさに触れて

かまえていなかったつもりの
じぶんの硬さに気がつく。

ただでさえそういう性分だということに気がついてからは

あえてそれ以上に準備したり、身構えるのをやめてみている。

ただ聴いたり、話すことからはじまること

たいせつにしてみたら

赤ちゃんみたいに
誰かの笑うのをみて笑ったり
誰かの泣くのをみて泣いたりするようになって

いま、すこし、おもしろい。

聴くことからはじまる会話をしたい。

といいつつ、結局きょうも
うれしさのあまり話しすぎてしまって

はずかしさをかみしめる帰り道なのだけど。


集中してやってきた朝劇×松澤くれはさんの稽古は、きょうでいったんの区切り。

もう、はじまりからおわりまでやってみて

まだ皮膚はぽやぽやだけど、形はみえました。

物語の中で、わたしの人生ではまだなかったことを経験していて

そうしたら、感じたことのない感情になって

ちょっとびっくりした。

だれかをおもえるのは、しあわせなことね。

ちゃんとそうしていたら

重たいリュックはいらないのだよね。
(比喩である)

2017年11月2日

まあい

すー、はー


ことば、に、することを
えらんだりやめたりしていたら


11月。

最近撮った写真を、よなよなながめてみたら

なんだかどれも淋しげで

その瞬間はそんなことなかったのに

なんでだろう、ふしぎ。


だれもいないからかな、そうか。

朝劇下北沢×松澤くれはさんの稽古が始まって

朝から活動しているから、夕方には眠い。

きのうも、気づけば洗濯機を回しながら寝ていて

ふっと深夜に目覚めてしまった

ら、なんだろう

なにかのゆめをみていたのか

「やさしすぎてさみしい」

みたいな後味を口の中に感じて起きた。

それからどうしようもなく写真を整理していたら
そんな感じの景色ばかりだった。





興奮することも
幻滅することもなく
穏やかな秋の、適温の、日中を過ごしている。

そういう時間に確認したり見つけたりすることは

きっと確かに思えて
ウンウンと頷いている。

それでもこんな夜中に時折見える

やさしすぎてさみしいみたいな後味は
なんだろうか。

何かを得たら何かを失う

というのでもなく

何も得なくたって何かを失っていく

みたいな

どうしようもない
自然の
時間の
ながれみたいな。

おだやかでも、うごめいているものはいつでもあって
何を得ようとしなくても
大きな希望を抱かなくても
傷をえぐらなくても
何かを渇望しなくても

毎時毎秒、こぼれていく。

そういうものなのだな、と
地平に、平らかな皮膚に
そっとしまう。

そういうものだ。

悲観的でも感傷的でもない。

それはただ、細胞が生まれ変わるサイクルの一部で

きょうはまた、あたらしいことを
手に取れるようになる。

同じ映画をあのときみたのと
きょうみたのでは
入ってくる言葉や景色がまったくちがうみたいに。



日々の、稽古のなかで、とてもおもしろいことがあって

それは、日々の自分自身の変化と
とても密接につながって起きていることのように思う。

何年も、できなかったこと
じぶんのきらいだったところ

すこしだけ、変われるような

できるような予感がしている。

自分じゃ、的確にはわからないけれど

予感。

どうしてもわたしは
生きているなかの全てを
別個にして捉えたり実行することができないから

そのぶん

こうして
日常と、芝居をすること、が
そのなかで試みることが
実直につながっているのを感じると

生きるのっていいな、とおもえる。

そうそう
つまりは
生きるということがしたいだけなのだということが

今年の、再確認したこと。