たまねぎがめにしみた

なんでもないはなしがしたいなあ。

毎日慌ただしいから。

うれしいこともたのしいことも、おおすぎるから。

虚しいことは無視してるけど、やっぱりざわつくから。

水をたくさん飲むみたいに

ごくごくとあらいながす透明な話題が欲しいな。

うれしいもかなしいもない

透明な話題が欲しいな。



一月に上演する
関森絵美ちゃんの一人芝居を書いている。

ごくごく飲み干せるようなものにはしないつもりで

だけど、その濃度が、
いろんな堆積した時間を押し流すような

そんなものにしたい。



長くなりそうだから後日話そうかと思ったけれど

チーフタンズの来日公演に行った。

ゲストはハンバートハンバート。

わたしには最高の組み合わせ。

ああ、もうこの素晴らしさのすべては
もちろんこんな文章じゃ語り尽くせないのだけど

何と言ってもここに記しておきたいのは

チーフタンズの音楽には、どうしようもなく脈を感じるということだ。

山脈や葉脈のようなもの。

自然の中に流れる、
自然がうごめく音を

掘り出したみたいな音楽だ。

その音はわたしのからだに共鳴して
からだがよばれておどりだす。

そして

ハンバートハンバートは
人間の脈
暮らしの脈を感じる音楽だ。

鼓動、水道、換気扇、電車、話し声

いろんな、身近な、暮らしの脈。

だから

わたしにとっては
チーフタンズの音楽にあるもっとおおきなものの脈の音を

ハンバートハンバートが、暮らしのとなりまできて
通訳してくれてるみたいな気分になるのだ。

そもそもチーフタンズを知ったのも
ハンバートハンバートが歌う『喪に服すとき』が
もともとはケルトの民謡で
チーフタンズの演奏しているのを聞いたのがきっかけだった。

チーフタンズは、音を追求し結果
宇宙にたどり着いたと言った。

わたしはそのことが、とても、頷けると思った。


脈を感じるものがすきだ。ずっと。

その手触りは、とてもやわらかくしずかで

だけど奥のほう、そのはじまりのほうで

湧き出すまでのごごごごという音が鳴り響く。

静かでいて激しく深い。

身の回りにあるあらゆるものたちのささやきあう声のように
複雑で豊かな音に

わたしは、宴をおもった。

人生は宴だ
世界は宴だ
自然は宴だとおもった。

生きて死ぬことは、宴だとおもった。

そのはなばなしい祝いの音は
ちんぷなかなしみなんかには
ぜったいにまけないのだ。