◉一人芝居フェスティバル
APOFES2018出品作品
『けつろ』
作・演出 福永マリカ
出演 関森絵美
1月17日(水)17:30
21日(日)19:00
28日(日)16:00
@千歳船橋APOC THEATER
¥1500
ご予約はこちら


日曜チーム
『いつものいつか』(脚本)
作 福永マリカ/演出 原将明
@下北沢CAFE VIZZ
1月6日(土)、20日(土)9:00
ご予約はこちら

◉下北沢演劇祭参加作品
MU
『このBARを教会だと思ってる』
脚本・演出:ハセガワアユム
2018年2月21日(水)〜26日(月)
下北駅前劇場
ご予約はこちら
詳細はこちら

◉ショートフィルム脚本
空中メトロ『openroll』

◉ミュージックビデオ

KANA-BOON『バトンロード』


シンクロリウム『ロングスリーパー』

◉映画
『漫画誕生』
2018年夏公開予定

◆エンターテインメント深堀トークバラエティー


2018年1月23日

ひだまりのなかま

ひのでているあいだは

そとへでて、なかまに会う。

あそんだり

いっしょになにかをつくってみたり

おはなししたり

どろんこになったり

ときどきけんかして

きずつけあったり

ひとりでつまずいてすりむいたり

たすけてもらったり

めいわくをかけたり

だいじょうぶだよっていったりする。

ひがくれると

へやへかえって

そのひのぜんぶを

しずかにだきしめる。

すいこむように、なだめるように

ぜんぶをうけとめるように

だまってだきしめる。

だまってだきしめると

たくさんのことばや、からだのうごめきが

よみがえってくる。

たまにそれがうずいていたいけれど

だきしめる。

うんとだきしめる。

じぶんのいたみになれてゆく。

だれかのいたみにも
ほんのすこしだけなれて

だまってだきしめられるようになる。

2018年1月22日

雪見酒

喫茶店で席に座るときに

ここはいやだとか

ここはいいとか

わかるようになってきた。

それに

そうおもったままにえらべるようになってきて、うれしい。

いつもそういう感度が正しくあってくれと思う。

そういう正しさがあってくれと思う。



さて大雪ですね。

街が白いと誰だかわかりません。

化粧映えしています。

2018年1月21日

明らめる


このあいだ
ことばの海を泳ぎに行った。

うーん
川かも。

川遊び。

それはそれは心地よい時間で
何時間でも浴びていたいと思った。

だんだんことばが
ことばのようで
ことばじゃなくなってみえてきて

ひとつひとつ
つぶだった
つみきみたいにみえてきた。

歩くつみきみたいにみえてきた。



ことばあそびは
1円もかからないし
つみきみたいにも
あやとりの紐みたいにも
水風船みたいにもなってくれるし

わたしはいいあそび道具を知っているなとおもった。

そういうことばとなら

かわいいなって
きれいだなって

わたしのみたい景色のなかであそべるのに

時々ことばは飛び越えて

見たくなんてない景色まで連れてくるようだよ。

見たい景色を見るために
ことばと生きてるつもりだったのに

びっくりしたよ。

その先の景色を
ことばの方が先に
知っているのかもしれないと

夢みたいな希望を
だれかの詩を読んで思ったよ。



----------

さきほど
関森絵美ひとり芝居『けつろ』
二度目の公演を終えました。

ご来場いただいたみなさま
ありがとうございました。

この作品、お客さんにみていだくにあたって

予想通りだったことと
予想外だったことが

ちょうどひとつずつあります。

予想通りだったことは
届いたり届かなかったりすること。

予想外だったことは
届かないことに、まだ自分がすこし苦しかったこと。

届く人に届く鋭利ななにかを研いできた
そのつもりなのに

もっと何年も前にちゃんとあきらめたはずなのに

ちゃんと痛かったこと。

だから今、この日々の中で

ちゃんとあきらめがつかないこと
そのものにちゃんとあきらめがついた気がします。

たぶんこれからも
どうしようもないことを
どうしようもないままに
続けてゆくんだと

あきらめがついた気がします。


しおしょうがらーめん


しおしょうがらーめんを
つくり、たべる。

なんと淡白な造形。



きのうは
関森絵美ひとり芝居「けつろ」の稽古場に
山岡竜弘さんが来てくださった。

だれかがみてくれることの
ありがたみと重要性を

今回はいっそうかんじる。

山岡さんは父のような師のような
まなざしとことばでねぎらってくださった。



なぜこの作品をやっているんだろうとかんがえた。

もうかんがえないことにした。

おわったら、かんがえたりしよう。

いや、おわったらなおさら
かんがえないほうがいいかもしれない。

きっとなにかをさらにするために
ここに立っているのだけど

さらにするために
淡白になるつもりが
一番複雑で混沌とした
澱のなかをとおりぬけなくてはならなかったようで



そうだねえ。

今夜、ですね。

関森絵美ひとり芝居「けつろ」
脚本・演出 福永マリカ

1月21日[日]19:00
当日券あります。
18:40開場

千歳船橋APOCシアター
世田谷区桜丘5−47−4
小田急線千歳船橋駅より3分

2018年1月19日

マイヘヤイズグット

年末からはじめた模様替えが

きょうやっとおわった。

おわったーと思った瞬間

おわったねーって陽がさしてきた。

やさしい。

なんだか結局

一年前くらいのレイアウトなんだけど

色味がかわったのでとてもうれしい。

とてもすきないろで構成されている。

部屋がいいってのは、いい。

とてもいい。

もうそれしかでてこない。いい。

みていて心が満ちるというのは
やっぱりとてもたいせつなことだとおもう。

わたしだけが気に入っていればいい
わたしの部屋。

ここからだれかに
会いに行く。

あしたは朝劇。

朝劇下北沢
『いつものいつか』
脚本 福永マリカ
演出 原将明

1/20(土) 9:00
上演時間一時間弱

場所
CAFE VIZZ
世田谷区北沢2-23-12
下北沢駅南西口徒歩1分

朝食・ドリンク付き
3000円

2018年1月18日

無題

部屋の模様替えは続いている。

物が少ないのが好き。

なんでだろう。

余白のないのは少し、息苦しく感じるから。

できるだけ陽の入った時
影のできる隙間が欲しい。



あんまり情報を伝えないで欲しい。

今のことがわからなくなってしまうから。

あんまり表さないで欲しい。

うずまくものがみえなくなってしまうから。

と、そういう歌や詩ばかりにこころがとまる。



それなのに書いているね雑記。

満ちていると思う時は大抵、行き過ぎている気がするから

欠けていると思えるような隙間が欲しい。

それなのに

ことばにことばをついでしまうね。



ことばをこえられるものがうらやましくて
音楽やダンスになりたかった。

谷川俊太郎さんだって

詩は言葉を越えられないって言ってたと思うしなあ。

それなのに

ことばでことばをこえようとしてしまうんだよな。

2018年1月17日

死ぬかと思った



死ぬかと思った。

ひとり芝居『けつろ』
初日を終えて。

ご来場いただいた皆様。
ありがとうございました。

でも本当に死ぬかと思ったのは
身体を晒されていた
関森絵美だと思います。

今は帰宅して

もやしとねぎとえのきと豚肉を蒸して

ポン酢で食べて

もったいないからと返しそびれたレンタル DVDをみて

集中できずに文章を書いているところです。

明日も起きたら、洗濯をしなければ洋服が足りないし

波だった心拍数を
平熱の雑務で
なだめてゆくことにいたします。

かさねがさね
ごらんいただいたみなさまに
心からのお礼を申し上げます。

あと二回、です。



関森絵美ひとり芝居
『けつろ』
脚本・演出 福永マリカ

1月21日(日)19:00
28日(日)16:00

千歳船橋APOCシアター

チケット
1500円
http://ticket.corich.jp/apply/87739/014/

2018年1月16日

手渡しの灯火



「あ、まただ

とおもった。

また、絵美ちゃんに力をかすようなふりをして

わたしがふみだすチャンスをもらっている。

はじめてあの夏
企画ライブに誘ってもらったときに久々に小説を書いて

あれからわたしは、いままで、
文章を書くことと向き合うのをやめていない。

あれからわたしは
脚本を再び書くようになった。

あの日がそのはじまりだった。

あの夜を鮮明におぼえてる。

そして今も

絵美ちゃんにひとり芝居の脚本と演出をたのまれ

力になるつもりが

わたしが一つを乗り切るために
絵美ちゃんにチャンスをもらったんだとおもった。

ひとりじゃのりきれないこと
ふみきれないこと

絵美ちゃんがいて
わたしはのりこえ
ふみきっている。

まただ、とおもった。

生きてきて、
生きていくんだ、

とおもった。

生きていくんだ、

と、おもった。」



と、目の前にいる絵美ちゃんにメールをした。

目の前にいる絵美ちゃんは
メールを読んでうおうお泣いた。

うおうお泣いているのに
わたしは真正面に座って、いた。

そんな時を演出するなら

きっと人は真正面にいられないはずだと

立ち上がってティッシュを取りに行かせたり
コーヒーを飲むふりをしてはすをむかせるだろうけど

わたしは真正面に座って、いた。

そうするときも、あるのだ
と知った。

本番2日前の
ひとり芝居『けつろ』
稽古中のことである。

この日私たちは、この後に及んで
稽古をしなかった。

稽古場を借りながら
コーヒーを飲みながら
なんでもない話をした。

おもえばこの作品は、はじめからそうだった。

なにかをするために
なにもしない時間をたくさんすごした。

そしてそのすべての時間が
ちがういろの、ちがうピースとして
いま作品の肉体になっている。


この作品は
ひとりの女性が部屋で朝を迎えるまでの時間です。

そしてそれは、
わたしが朝劇下北沢に出会い
朝を迎えるまでの時間の色調でもあります。

さらには、関森絵美に出会うまでの。

絶望の先にしかない希望の話です。

深い夜の先にしかない朝の話です。

でもそれはゆるぎなく
自分で手にしたものです。

これからを描ける誰かと
手にしたものです。

虚構に、現実を、
根こそぎ洗い流してもらいます。

これを、誰でもない誰かに
もしかするとあなたにみていただきたいとき

きっとまた
地は天になり
闇は光になるのだとおもいます。

いよいよ明日からです。

たのしみです。

ひとり芝居
『けつろ』
脚本・演出 福永マリカ
出演 関森絵美

APOCシアター
小田急線千歳船橋駅より徒歩3分

1/17(水) 17:30
21(日) 19:00
28(日) 16:00

チケット
1500円

2018年1月15日

気の抜けた服を「わざと」着たら
気が抜けた。

「わざと」じゃない日は
なんとなく
気を抜いてしまったような気に襲われて

一番気が抜けない

って、今気がついた。

気の話ばかりしている気がする。

元気である。

みんなやさしい。

下北沢の般°若のカレーは
おいしい。

これたべるといつも

食事ってより治療って気持ちになる。

あ、今つくっているひとり芝居
『けつろ』は

なんだろうな
装置をつくりたいなとおもって、はじめました。

あのときの
気温
気圧
湿度
空気の密度
風の色
陽の光

そういうものを立ち起こす装置。

きっと浴びてもらえるんじゃないかとおもっているし

そうします。

ことばでなくていいんだと
ことばを尽くして。

2018年1月14日

こころざし

ひりひりのぐちゃぐちゃである。

もうそれはそういうもんなので
それ以上はさわらない。

ひりひりのぐちゃぐちゃである。それだけ。



きょうは関森絵美ひとり芝居『けつろ』
の稽古場に
ソラカメ主宰の江田恵さんと
劇団藤村聖子主宰の藤村聖子さんが
リハーサルを見に来てくださった。

50分間のひとりを
全身で受け取ってくださり
おわったあとには
しんじられないくらいたくさん
ありがたいことばをくれた。

ふたりは、わたしと同い年で
ふたりとも実は、来週からの本番を控えていて

絶賛、ちぎれそうになりながらたたかっている。



このふたりがみにきてくれることを想像したときに
「ああ、あまりにマストでジャストな人選をしてしまったな」
とおもった。

ふたりならきっと、受け取ってくれる予感がしていたから。


でも、同時に
ふたりに届いたらそれでいいと思った。

それがいい、くらいにおもった。

他の誰にも届かなくてもいいから。



そしてきょう、ふたりが
目の前で受け取ってくれて
ああ、ほんとうによかったとおもった。

それ以上何も言えない。

よかった。それに尽きる。

江田恵さんによるご感想
https://ameblo.jp/edamamegu0226/entry-12344523132.html?timestamp=1515935885

藤村聖子さんによるご感想
https://twitter.com/shoko_fujimura_/status/952443899468902401



はじめてひとにみてもらったことできがつくこともあって。

江田さんには「身を削ってる」と言われ
そうだったのかとおもいました。

藤村さんには「ひとりじゃないとおもった」と言われ
そうか最高だとおもいました。



ひりひりのぐちゃぐちゃである。

それは身を削っているせいなのか
関森絵美に身を削ってもらってるからなのか
ひとりじゃないとおもえたせいなのか
もっともっとふくざつなすべてのようなきがします。



ひょっとすると26年分のなにかかもしれません。

地底からおとどけします。





江田恵さん主催「ソラカメ」次回公演
『ここから』
脚本・演出 岡本苑夏
1月24日〜28日
花まる学習会王子小劇場
詳細はこちら
ご予約はこちら

藤村聖子さん主催「劇団藤村聖子」次回公演
『シンクロニシティ』
脚本・演出 宝来忠明
1月25日〜28日
下北沢アレイホール
詳細はこちら
ご予約はこちら

関森絵美ひとり芝居
『けつろ』
脚本・演出 福永マリカ
1月17日 17:30
21日 19:00
28日 16:00
千歳船橋APOCシアター
ご予約はこちら



稽古後、湯上がりみたいな顔になってしまった。

言葉の通じる人が見つかる世界、泣ける。


2018年1月13日

だいちょうぶ



さいきんのここちの話をしたら

姉から「体得したんだね」
という言葉をもらって

はあ、
「体得」ということばを、体得した心地がした。

こういう
「わかる」という瞬間を浴びると
「わかっていない」ことがよく「わかる」。

わかったことなんて
まだ片手でかぞえられるくらいかもしれない。

メダルの数みたいな
賞状の数みたいな
そういうイメージ。



このごろ、人と生きるうえでなんとなく
みつけたからだの感覚があるのだけれど

きのう、それが

去年の春頃に夢で

「自分がいろんな国の大地になって、いろんな人を大地としてみていた」

あのときのからだの感覚に
似ているとおもった。

そういえばその夢を見た朝
こうなれたらいいなって、おもった。

わたしはわたしで
あなたはあなたで

なにもすることはできないけれど

てをひろげて
めをつむって
いることはできる

ような。

そうなれたらいいなとおもっていたからか

そう、からだが「慣れた」気がする。

なにもできない

生きてるうちにげっとできる
メダルや賞状の数は限られてるけど

でもそれでよくってそれがよくって

そのたいせつなひとつ、ひとつを
部屋に飾るのがわたしは、すきだな。




さて次回出演作品の
チケットが発売になりました。

今年の出演一作目になるんですね。

日々脈々と変化しているものでして
今はどんな風に芝居をするんだろうわたし。

たのしみです。

そんなふうにしてやってます。

ぜひみにいらしてください。

きっといいです。

下北沢演劇祭参加作品
MU
『このBARを教会だと思ってる』
2018年2月21日(水)〜26日(月)
下北沢駅前劇場
下北沢駅南口目の前

脚本・演出 ハセガワアユム(MU)

詳細はこちら

チケットご予約はこちら

いい年になるように
いい一作目にいたしましょう。
よろしくおねがいいたします。






2018年1月12日

とくべつない

それでもまいにち珈琲をのむみたいに

日々にあったらいいな、とおもうことが、ある。

とびきりじゃなくていいから

日々にあったらいいな、とおもう。



これといって書くことがない

これといって説明しなくてはならないことがないのは

とてもしあわせなことだとおもう。

2018年1月10日

わきだす

息切れしそうな数日間を乗り切った。

今日でひと段落。

今年が始まってもう十日もたったのかとも思うけれど

あれもこれもまだ今年が始まってからのことか
と思うと

もっとたくさんの時間が経ったようにも感じる。

気づいたらすこし部屋が散らかってて

せっせと片付けて

おいしいお茶を入れて

映画をみよう。



ついこのまえもかいた
「たのしいことしかしない」
と思った日のこと。

思わず口をついて出た
あの日の決意の意味が
いまなんとなくわかってきた。

たのしい気持ちで居られる場所にいるようにこころがけたら

たのしい場所が自分の周りに広がっていくからだ。

すてきな人が周りにたくさん広がっていくからだ。

くるしいのが、がんばるってことじゃない。

たのしくいられるための、がんばる、も、ある。

鼻がきくっていいことだ。



思わず口をついて出る言葉を
なんとなく信用してる。

ちなみにわたしのなまえ「マリカ」は

当時3歳の姉が
「マリカ」と不意に叫び
母がそれを気に入ったことから命名された。

どう考えても
「マリカ」だったんだろうな、わたし。

「マリカ」でしか、なかったんだろうな。

2018年1月9日

帰れないふたり


わざとまわりみちしてかえりはじめたのだけれど

もうわざとのレベルじゃない

ぜんぜんかえれない。

あんまりいろんなことを

同時にできない人みたい。今は。

今年はもうすこし、
そこのところ器用になってもらわないとこまる。



それはさておき、
きょうは脚本と演出で参加する
ひとり芝居フェスティバルの照明・音響リハーサルだった。

きょうのことは結構前から不安で

じぶんのやりたいこと
描いてること

人に伝えるのって、正直たいへんだし億劫だしむずかしい。

でもそれをおこたったらなにもはじまらないのもよくわかっていて
誰かにお願いできたら
広がる世界があるのもわかってたから

きょうは、ひとやま、だった。

だけどはじまってみたら、そんは不安はどこへやら

照明さんも
音響さんも

とても丁寧に話を聞いてくださり
ゆっくり確認してくださり

わたしのわからないこともたくさん提案してくださった。

わからないことだらけなので

プロのかたがたにきくのが
はやいにきまってた。

あたりまえのことだけど
ちゃんと教えてもらうことができて、小学生みたいにうれしかった。

ふたりきりで稽古をしているから
どうにも言語感覚が個人的になってゆくので

きょうは次元を変えてことばを選んだけれど

それをちゃんと汲み取ってくださったことも、うれしかった。

さいきん、この作品をつくるうえで
星野源さんがアルバム『ばかのうた』をつくったときのメイキングをみるのがとても好き。

個人的で抽象的で具体的なことばえらび

それを汲み取って提案するバンドメンバー

みつかったときのきもちよさ

わたしまできもちいい。

そんなメンバーを見つけたことがまず素晴らしいこと。

でもきょうは、はじめてあった照明さんと音響さんと

いっしょにつくることができてうれしかった。

おふたりとも女性で
そのことも功を奏した気がする。

そう、おもえば今回の作品『けつろ』は

わたし自身がはじめて、女性であることを受け入れて、みつめて書いた。

何かを二分するのが嫌いでずっと避けてきたけれど

なんだか今なら、みつめられる気がした。

そこから出てくるものは、なんなのか

二分できないものなのかもしれないけれど。



うむ、そしてまだ帰れない。

演じている関森絵美ちゃんも、さいきんよく電車を乗り過ごすらしい。

どうも、トリップしている。



ひとり芝居フェスティバル参加作品
『けつろ』
出演 関森絵美
脚本・演出 福永マリカ
1/17 17:30
1/21 19:00
1/28 16:00
アポックシアター千歳船橋
チケット 1500円

2018年1月7日

うみのような



うみのようないちにちだった。きのう。

大きな波が打ち寄せたり
さざなみにくすぐったくなったり

かんじょうがふるえると
からだがふるえることがわかって

じぶんのからだも波打っていた。

「うみと人は似ている」とさいきん
ことばにしたばかり。



生きることを覚悟したんだな、と
おもった。

それは
人と生きること、だった。

誰かと何かを共有しようとおもったとき
立っている地平がひとつ変わった気がした。

生きることについて
なんどもかんがえてきた。

ちいちゃなわたしなりにかんがえていた。

だけどいま立った「生きる」は
わたしにとってとてもあらたなもので
しらないものだとおもった。

そうしなくても生きていけるもの、
例えばデザートを食べることとか。

いまわたしが立った「生きる」は
「そうしなくても生きていけるもの」だけれど

それはデザートではなくて

中華かフレンチか悩めるときの晩ご飯でもなくて

三日ぶりの食事でもなくて

あわいを食べるような
そんなかんじで。

そうしなくても生きていけるけれど
いちばん近づきたかった場所のような気がしていて

そうして生きていきたいと
喉から手が出るほど祈ったことのような気がしていて

生きている間に手を伸ばすこと、
ないとおもってた。



いろいろな表情のうみを見た日だった。

わたしのからだに共鳴して波たつうみも
うみのゆらめきに共鳴して波たつわたしも
見た。

ことばあそびみたいに
意味じゃなくたって
くすぐることばに
ふふふと誰かと笑えたらそれがいいと

いちにちの終わりはそこへいきついていた
そんないちにちだった。

2018年1月6日

あける




新年一度目の
原将明さんがいない一度目の
朝劇下北沢でした。

いない、ということは
いた、ということを実感する時間でもあって

そこにひとつ
空間があいているような
そんな心地がしていました。

それはまだこころぼそくもあるのだけれど
でもそれいじょうに

ぐんと視野を広げて
ふところをひろげて
あたらしい地へみんなで行くぞという

あたらしい自由の余白のようにも受け取ることができて

はなうたをうたって
その空いた空間に風を流しておきました。

やさしい時間をたくさん知ってるから
それがなによりもいつくしむ時間だと知ってるから

そうしてすごしてゆこうと
気張りそうになるたび
はなうたを歌います。

今日はゲストの大川香織さんが
ご自身の中に詰まった夢のようなものもつれてきてくださったおかげか

「いつものいつか」のもとになった
その数年前を描いた原将明作品
「リブ・リブ・リブ」の
夢を抱えて上京した少女のようで。

その背中に「いってらっしゃい」と見送る
当時、少女を演じていた関森絵美ちゃんが
またときの流れを感じさせて
あたらしいかんがいにいたりました。

大川ちゃんの存在は
原将明作品に欠かせない
ファンタジーを現実に連れて来てくれる女の子みたいで

今日のゲストであったことの
意味のようなものを感じていました。



終演後には誕生日もお祝いしていただき
身にあまる思いでした。

去年も同じように
ここでお祝いをしていただき
その光景と重なるものがありながら

自分の居る感覚の変化や
変わったものや変わらないものが
一瞬にしてあらいだされるような瞬間でもありました。

とびきりにうれしいことだったから

これもまたはなうたをうたうみたいに
さりげなくただよって
とくべつじゃなくていいから
ずっとあればいい
とおもいました。

あいまいなことばしかいえないのは
たいせつで、こわしたくないからです。


2018年1月5日

まちあかり



きのう、
たいせつにしはじめていた
びんを割った。

わたしがいつものように
横着をしたばかりに、割った。

びんのくちのところが
四分の一くらいかけて
全体にひびいった。

誕生日だというのに
わたしはわたしをぶっつぶしたくなった。

ほら、また
わかってたのにこういうことをやる
やりそうだなあ、ってわかってたじゃん一秒前

わかってたのに何年も間違える。

そうやってひとり
破片をあつめて
ごみばこへむかい

ふとふりかえり
割れたそのびんをみると

とてもうつくしかった。

なんともいえず、うつくしかった。

そりゃあ、こんな状態では売ることはできないから
買うことはできないだろうけれど

もしも街で
割れる前のびんと
この割れたびんが並んでいたら

わたしは割れたびんのほうを
写真にとるなあと思った。

そうやって、一瞬で
くだけかけた心は回復した。



ことばにするとなんでも美しくみえるようにできてしまって
わたしって嫌だなと思うこともある。

こういうときにいつも思い出すのは
この雑記にも前に書いたかもしれないけれど

近所の定食屋に行ったときの話。

ああ、秋ですし
さんま定食〜と浮かれて入った。

それで、待っていたら
そのお店は家族三世代くらいで営んでいて

奥さんが店内を駆け回っていて
おそらくその旦那さんが台所にいて

奥さんはおばあちゃんの食事を介助しながら
赤ちゃんに離乳食をあげていた。

お客はわたし一人で
運んでもらったさんま定食をたべながら

なんというかわたしは
正直に書くと
生活を食べているような気持ちになった。

正確に書くと
わたしが食べているもので
この家族が生活をしているということなのだけど。

それでのどを通りにくくなった定食をさいご
味噌汁で流し込むとき

ああ、わたし
この味噌汁の上澄みをすすっているだけみたいだな
と、なんとなくおもった。

だからどうだといいたいのではなくて
そういうことを
ことあるごとに
うつくしくなろうとしすぎたときに
おもいだすのだ。

そうしなくたって
そんな上澄みを吸う余裕なんて
一ミリもなく

毎日せっせと生きているのだけれど。

それでも、それだからせめて

わたしの見たいものや
過ごしたい快い場所は
じぶんでつくれたらいいなと
思っているだけなのだと思う。

2018年1月4日

あるくまま

流星群を見に5時に起きて
北海道ファッションで外へ出た。

流星群はみえなかったけれど
月があんまりに澄んでいて綺麗だったので

缶コーヒーを買って眺めた。

冷えて帰ってきて眠って

起きて9時。

大晦日から続いている

掃除のような模様替え
かたづかないけれど
好きなものが視界に広がっていって

とてもよくて
日差しも良くて





ああ、この部屋が好き。

洗濯をしながら
好きな音楽を聴いて

気がついたら陽も落ちる頃で

カメラを持って散歩に出た。

うまく撮れるわけじゃないんだけど
カメラさえあれば
部屋じゃなくても
好きなものを集められることに気がついた。

だから最近、カメラがたのしい。

片っ方無くした手袋、三人にあった。





なにをしてあげられるわけでもないから
両手でバイバイしておいた。

夕方になって
お腹が空いて
牛丼屋さんにはいって

牛丼を頼んだ。

頼むと1分もしないうちにでてきて
目の前に牛丼御膳がひろがって

わたしは両手を合わせていただきますをした。



今日は26歳の誕生日。

日常がここにあってたまらなくうれしくて
ひとりじめしてすごした。

ふとみたら
たくさんのひとがやさしさをおくってくれていることに

去年の暮れくらいから気がついてた。

常温がとても暖かく
ここちよく
日常が最上で

26年かけて見つけた平穏のような気がしてる。

それでも数日前、特別に

自分へのプレゼントで
ゆびわを買った。

ふと出会った、よいお店で
よいのをみつけて
音楽はハナレグミバージョンの「ぷかぷか」がかかっていて
おみせのおねえさんもとてもすてきで

「ゆびわってふだんつけなくて。
なにゆびにつけるのですか?」

ときいたら、

「その日、その日
きょうはこのゆびだなって
しっくりくるところにしますよ」

とおしえてくれて

ここで買おうと決めた。

決めた一つを購入し
包んでもらっていると

「このゆびわは
ミャンマーの人たちが作っていて
幸せを願うという意味が込められているみたいですよ」

とおしえてくれた。

そのうえフェアトレードのゆびわだったみたいで

えらんだものが
よいものだったことが
とてもうれしかった。

よいものをえらぶんじゃなくて

えらんだものが、よいものだったことが。



役者をやることになるとは思ってなかった。

歌って踊れる歌手になりたかった。

脚本を書くことになるとは思ってなかったし
演出をすることになるとは思っていなかった。

でも、よいものだった。



わたしのすきな彫刻家は

なにかをつくるのではなくて
そこに埋まっているものを掘り出すと言った。

わたしのすきな音楽家は
まるで話の途中みたいに
からだの延長の、指先みたいに
うたをうたう。

さがしているものはもうそこにあったり

なにかをしようとせずに
ただ、そこにいることが
いちばんすてきにうつったりする。

そんな、そこにある
ごく自然で、必然的なことに

そうなるように、なるものに

みみをすませている。

それは

ふりかえったら
たくさんのやさしさをおくってくれていたひとたちからの

その、おくりものを
両手を広げて

きちんといただくことから
はじまるような気がしています。

いつもありがとうございます。

26歳も、よろしくおねがいします。



2018年1月3日

みちかけ



演出はたのしいです。

ちょっと泣けるくらいたのしいです。

ひととわかりあえることって
ことばが通じることって
そうそうないとおもっていて

それはもうわたしの中では絶望ではなくて

もっと通り過ぎた前提のところにあって

あるとおもっていたけれど

いまこうして演出をしているときは

「わかる」と本気で信じていて
ちいさなちいさなちいさなせかいで信じていて
祈っていて

わかろうとしていて
わかってもらうために尽くしていて
互いにそうあって

なんというか
それはそれは
ほしかったことで

だから少し泣けます。

ごめんなさい
とても個人的な話です。



一人芝居ってやっぱり
究極に一人です。

それをつくっているから
究極に一人なんだけど

人生で一番
誰かとわかろうと
わかってもらおうとしてるから

究極に
一人じゃないとも思います。

究極に一人になれば
誰かと手をつなげるんじゃないかって
ずっと思ってました。

わかりたいとか
わかってもらいたいとか
エゴだなって思ってたけど

こんなふうならそれでもいいかもしれなくてしれなくて
やっぱ泣けます。

なにかをつくるって
とくべつだけどとくべつじゃなくて

そんないちばん
根源的なところにあるんだなと
おもったりしています。

APOFES2018出品作品
「けつろ」
脚本・演出 福永マリカ
出演 関森絵美
1月17日(水)17:30
21日(日)19:00
28日(日)16:00
¥1500
APOCシアター千歳船橋
ご予約はこちらよりよろしくお願いいたします。



さて、初めて演出に徹している日々は新鮮ですが

2月、舞台に出演することになりました。

下北沢演劇祭参加作品
MU
「このBARを教会だと思ってる」
脚本・演出 ハセガワアユム
2月21日(水)〜26日(月)
下北沢駅前劇場
詳細はこちら

初めてのMUさん
そして下北沢演劇祭参加です。

未知も未知なのですが

このタイトルがすでにグッときています。

1月を経た2月
どんなふうに祈るのか
はたまた祈られるのか

おたのしみに。

2018年1月2日

みつくろう


新年2日目から
稽古というのをしています。

なにかをつくっている時間というのは

とてもことばがあふれているけど

とても無心でいいですね。

関森絵美ひとり芝居
『けつろ』

このあいだ、なんでもないときにこの作品のことをかんがえて

だれにどう受け取られるのかとても考えていないことに気がつきました。

わたしからしぼりだしたら、これだったんだから、しょうがない。

前向きなしょうがなさをおもっています。



あとは最近、音楽ばかり聴いていて

音楽を聴いている時にいちばん

演劇がつくられているような気がしないでもないです。

音楽には勝てない、といつも思うし

そういうかなわない存在があるのを感じるのは

いつも希望が絶えなくてうれしいです。



APOFES出展作品
『けつろ』
脚本・演出 福永マリカ
出演 関森絵美
2018年
1月17,21,28日
at APOCシアター千歳船橋
¥1500
ご予約はこちら


2018年1月1日

あけゆく



あたらしい年がやってきました。

初日の出を
きっと初めて見に行ったのだけれど

日が昇る瞬間の
ぐっと大地をおしあげるような
あのかんじはすごいなあ。

ちからをもらいました。

日の出を待つ数分間

曖昧な空を眺めながら

今年はどんな年にしようかと思いを巡らせました。

そうだ、

最近手に入れた
夢のなかで空を飛ぶ時のあの感覚

あれをずっとわすれずにいこうとおもいます。

なにかをしようとせず
だからこそできるすてきなこと

していこうとおもいます。

そうだ、初詣も朝から行ってきたけれど

おみくじをひいたら大吉が出ましたよ。

こころをまちがえなければだいじょうぶだそうです。

こころかろく
まいりましょう。

本年もどうぞ、よろしくおねがいいたします。