わかりあえない



さんざ猟奇的な役を演じても
解せない、とは思わなかった。

それは道徳の上でのことではなく

もっと根源的な欲求のこと。

だけど今、演じようと向き合っている人のこと

これまでにないほど、解せなかった。

「真面目な妹」の役なのに。



学生時代、私は「真面目」と耳にタコができるほど言われた。

どこが真面目なのか
やるべきことをやっているだけなのに
と思っていたし

だからなんだ、と思っていた。

「真面目」は学生たちの中では
揶揄としてつかわれることもたぶんおおくて

卑屈だっただけかもしれないけど、おおくて

かみつくように真面目をやっていたような気もする。

単純に勉強は楽しかった。

他者と向き合わなくて良い時間であり
自分の思考をフィードバックできる時間だったから

というのもおおいにあるとおもう。

ひとはすきだった。

だけどうまくできなかった。

と、まあ

その時の心身を振り返り文字を置いてみると
まあ卑屈な字面である。

いい自分だったとは思わないけれど

ふりかえれるほどには距離ができて

あってよかった時間だと思っている。



きょう、最終稽古をしている時

これは紛れもなく、少し前の私の話だとおもった。

エピソードは違えど

過ごしたことのある心の移ろいだとおもった。

そしてそれはたぶん

大なり小なり
これからもくりかえす心の移ろいだとおもった。

ぜんぜん、わかる、ひとだった。

だからきらいだったみたいだ。

どうしようもない自分の欠陥と
寄り添っていく人生だ。

このひととも、寄り添って
生きてみようとおもう。



MU『このBARを教会だと思ってる』
2月21日(水)〜26日(月)
下北沢駅前劇場
チケット各種割引あり